毒家族の話4選「母親がとにかく私と友達を比べてくる女だった」「毒親の末路」「毒親の息子が毒夫になった話」など

・そろそろ潮時だな、本当に無理だな、着信拒否しようかなと思った
・母親がとにかく私と友達を比べてくる女だった
・毒親の末路
・毒親の息子が毒夫になった話

以上、4つの話を紹介します。

毒家族の話4選

○そろそろ潮時だな、本当に無理だな、着信拒否しようかなと思った

毒親に生まれ育ったせいで親戚と絶縁になりそう。

私はよくある毒親育ち。両親からありとあらゆる暴言・暴力・人格否定・存在否定をされて育った。

父親は早くに亡くなったので母親とは仲良しごっこをしてきたが、私に限界が来たので現在は一切母親からの連絡は無視している。

母親はヒステリックで自己中心的で、機嫌が良い時は普通の親より優しいのだが、ひとたび機嫌が悪くなるとこちらの傷付くような暴言・人格否定・存在否定を盛んに行ってくる。それプラス親戚中に尾鰭も背鰭もつけた私の悪口を垂れ流す。

そのせいなのかいつしか私は精神疾患になり、精神科でも親からの虐待が一因と言われている。

暴言を吐かれた際、それを母親に言うと「人のせいにするな!そんな、人の事を考えない発言をするのも精神疾患だからか!やはり父親にそっくりだ!キチ◯イの父親の血だ!」と、激昂しながら返された。

ちなみに私が精神科にかかる前から母親自身も精神科に通っている。なので母親自身の発言はブーメランでしかないのだけれど、その発言で本当に限界が来て、それ以来ずっと無視をしている。

母親は上半期はおとなしかったが、下半期になって緊急事態宣言が解除されると「元気?私はこれから旅行に行ってきます!」だの「紅葉が綺麗だったよ!◯◯ちゃんは元気かな?」だの、頼んでもいないのに一方的なメールを送ってき始めた。

ずっと無視していたけど、今月に入り年の瀬で寂しくなり始めたのか頻度が増えた。先週は電話も来た。もちろん無視した。

そしたら今日、母親から小包が届いた。雑貨類と書いてあった。受取拒否(絶縁のため)と書いて持ち帰ってもらった。

母親は仲良しごっこをしていた頃からよくこうやって自分が私にあげたいもの、私にとってはいらないものをたくさん詰めて送ってきてくれた。

実家に住んでいた子ども時代からそうで、私が欲しいものや私の要望などはほとんど無視され、両親の自己満足に付き合い続けてきた。

私なら連絡を無視され続けているのに小包なんて送れない。あー相変わらずだなー、と思った。

今まで緊急時の事を考えて母親からの連絡は通じるようにしてきたけど、そろそろ潮時だな、本当に無理だな、着信拒否しようかなと思った。

祖母に電話してその件を話した。今の祖母は私の実の祖母が亡くなった後に来てくれた後妻さんなので、母親とも私とも血の繋がりはない。なので私の味方になってくれるかなと思ったら、全く違った。

祖母「◯◯さん(母親)はああいう性格だから仕方ない。私ちゃんが我慢するしかない。今までは◯◯さんも頑固だったけど、今は少しずつ変わってきて私ちゃんと仲良くしていこうと思っているから、時間はかかるだろうけど、私ちゃんも歩み寄ってあげなきゃ」

私『私は今までの人生ずっと我慢してきた。親に愛されたかった、寂しかった。向こうの気まぐれで優しくされたかと思ったら機嫌が悪いとひどく当たられて、その繰り返しでもう限界だった。なのでもう母親とは関わりたくない』

祖母「わかるよ、私ちゃんの気持ちはよーくわかる。でもね、親子なんだから。縁は切れないでしょ?今は若いから平気だと思っているかもだけど、これが50、60になったらすごく寂しいわよ?時間はかかるかもしれないけど、私は◯◯さんと私ちゃんが仲良くなれるように協力するから」

私『全然わかってないよ。完全なる絶縁はできないとしても私はもう関わりたくない。向こうは私と仲良くなりたいという方向に変わった、私は母親と関わりたくないという方向に変わった、やっぱり気が合わないんだよ。別に無理して仲良くする必要もないじゃない』

私『それに若い若いって言うけど、私ももう30過ぎだよ。若い子が勢いで言ってるわけじゃない事くらいわかるでしょ。今までの30年以上仲良くしようとして、裏切られて、自分を責めて、時間を無駄にして、もうやめようって思ったの。だから無理』

祖母「…わかった。◯◯さんと仲良くして欲しいと思ってそのためなら協力しようと思ってたけど、私ちゃんがそんな態度なら私ももう私ちゃんと仲良くできないわ。これから電話がかかってきても切るし、お正月に来てもらっても困る。そんな調子じゃね」

最後に祖母に言われた事にびっくりして、絶句してしまった。

あー、私は所詮母親の副産物でしかなくて、いくら血が繋がっていないとはいえ祖母は母親の味方で、私の気持ちがわかるなんて言っておいてなーーーーんにもわかってないんだなーーーーって。

電話中と切ってから、これを書き始めてからは悲しくて泣いてたけど、書きながらなんかどうでも良くなってきた。

母親に虐げられ、親戚中母親の味方で、これからも仲良くするには母親と仲直りごっこと仲良しごっこをするしかないなんて、馬鹿馬鹿しくて笑えるw

誰も私の味方がいないということは、私がそのレベルの信頼しかない人間だってこと。

自分のレベルの低さ、信頼のなさ、人徳のなさ、味方のいなさに笑えてきちゃった。

私は確かに今までの人生ろくでもなくて、何も持ってない。そしてこれからは親戚も失う。

でも、もうそれでいいじゃん、それでいっかって思い始めた。無理して付き合う必要なんてない。

何も持っていない、誰も味方がいない、誰からも信頼されない、そんな底辺でも底辺なりに多くを望まずに自分らしくささやかに生きていくわ。

もうないものねだりをしても仕方ないもんね。私は家族に恵まれなかった、愛されなかった、運がなかった、誰も味方がいない、だからこれからは付き合わない。全部仕方ない。

もう今更世間体や体裁なんて気にしても仕方ないし、親不孝と言われようと非常識と言われても構わない。今までの30年以上気にしてきたけど、世間体も体裁も親孝行も私を幸せにはしてくれなかったから。

これからは自分の信じた道を思ったように進むわ。

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○母親がとにかく私と友達を比べてくる女だった

私が中学の頃、母親がとにかく私と友達を比べてくる女だった。どれだけ嫌だと言っても「あなたのためなの!」と言ってくる。しかも、

・あの子はメガネをかけているから私子より頭が良いに違いない!

・あの子はとてもおしゃれなのに私子はおしゃれじゃない!

・あの子は落ち着いた服装なのに私子は色気づきすぎ!

・ 私子は成績がすこし良くなると調子に乗る!そんなのはだめ

・あの子は成績が悪くても堂々としてるのに、私子はいつも自信がなさそうでだめ

など言ってることがめちゃくちゃだし、言ったことをすぐ忘れる。ついでにいうと私は学校の成績はトップだったし、塾も行ってない。

なのに友達の目の前で私を悪し様いうのでみんな苦笑い。

頭にきて、友達みんなとその母親が集まって食事したとき、

「Aちゃんのお母さん、綺麗〜。うちのお母さんは年取ってて駄目!」

「Bちゃんのお母さんのお弁当、いつも美味しそうだよねー。お母さんの弁当、Bちゃんに貧乏人の弁当って笑われたw」

「Cちゃんの家はお父さんが社長さんなんだよね?すごいね、お母さんはそんな偉い人と付き合って結婚までできてさ。うちのお母さんはだめだわー。結婚せずに私を産んでさー、そのせいで私が苦労する」

「あとさー。お母さんAちゃんの服がおしゃれでセンスあるって言ってるけどかけてる金が違うからね?いいなー金かけてもらえてー」

と一気にバーッと喋った。

みんなポカーンとしていたし、友達のお母さん達から「私子ちゃん落ち着いていきなりどうしたの?」

母親から「そんなこと言うなら帰りますよ!」と言われたけど、被せるようにずーっとずーっと息継ぎほぼせず喋って、最後に、

「でもみんなのお母さんの何が羨ましいってー!!娘を馬鹿にしないこと!!ほんっと羨ましいー!お母さんは私に死ねってことかなーー!嫌いなのかなーーー」

と大声で言った。

母親は「なんて恥ずかしい子!」と涙ぐんでお金を叩きつけて帰ってしまった。

私は「あ、私も食べ終わったから帰るね。じゃあねー、また明日」と言って唖然としている友達を残して帰った。

帰宅後母親に怒鳴られたので包丁突きつけて、「うるさーい!お前が私にしなくていい苦労させてんだよ!!比べるんならなあ!他の連中と同じくらい金出せるようになれやクソババア!ムカつくんなら私殺して豚箱行けよ!」と今まで溜まっていた鬱憤を全部晴らした。

以降母親は比較することもなくなり、私も元のおとなしい子に戻った。

お母さん達は「私子になにがあったの?もっと大人しい子じゃなかった?精神的に大丈夫!?」と私の発言にドン引きしていたらしいけど、

後日友達に「私子の気持ち、わかるわ…あのお母さんは疲れるよね。でもあんなことする発想はなかったわ」と言われた。

○毒親の末路

昔、自分が勤めていた老健であった復讐

老健っていうのは、リハビリ付きの老人ホームみたいなやつ。

ある時、脳梗塞の後遺症で麻痺が残った60代後半のAさんという男性が入所してきた

Aさんの奥さんはだいぶ前に病気で亡くなっており、娘がいるけど奥さんの連れ子で、今はちょっと疎遠になっている。

娘さんは一応キーパーソンにはなってくれたけど、契約の時以降は面会にも来ないし、電話連絡の時も割と事務的だった。(それでも、KPになってくれるだけありがたいけどね、職員としては)

コロナ前のことで、同室者は頻繁に面会者がくる中、Aさんは寂しそうだった。

そんなある日のこと、談話室に居たAさんが、たまたまそこに来た面会客をまじまじと見て、大声をあげた。

「〇子? もしかして、〇子じゃないか?!」

言われた面会客は「え、確かに私、〇子ですけど…」と面食らってたけど、次の瞬間に「…え、えっ もしかしてパパ?」と。

(このへん、自分は直接見てなくて、あとで他の職員から聞いた。多少の盛りあると思う)

Aさんが「なんでおまえが、ここに居るんだ?」と聞くと、

〇子さんは「あ、あの、私はお父さんの面会に…」

Aさんは大喜びで「そうか!面会に来てくれたのか!」と感激したけど、

〇子さんは「ち、ちがうちがう」と。

とそこに、同じフロアの入所者Bさん(70代前半男性 右大腿骨転子部骨折後人工骨頭置換術済 リハビリ目的で3日前から入所)が、車いす自走でクインクインとやってきて、「お~ 〇子ちゃ~ん。来てくれたのぉ」と。

〇子さんも笑顔で「お父さーん! どう?大丈夫?」

要するに、Aさんの元奥さんが再婚した相手が、偶然同じ施設に入所してきて、Aさんの娘さんは、Aさんではなく育ての親の面会に来てた。

ちなみに元奥さんのほうも少し離れた所に居たけど、Aさんこちらのほうは全然気が付かなかった。

その後、Aさんの元奥さんと娘さん、あと、娘さんの旦那さんや子供たちもしょっちゅう面会に来てた。談話室で和気あいあい団らんしたり、リハビリを見学したり。

その老健は在宅復帰超強化型で、がっつりリハビリして家に戻るのを目指すんだけど、家族みんなで「頑張って、早く家に帰ろう!」と励ましてた。

いっぽうのAさんは、リハビリでADLが上がっても、介護者いないから家に戻せないなぁ 困ったなって状況。

Aさんが、〇子さんに話しかけることもあったけど、〇子さんは常に冷たい態度だった。

一度、Aさんが〇子さんの子供たちに「俺がじいちゃんだ」とみたいなことを言ったらしく、その時は〇子さんはえらい剣幕で、子供たちに「違うからね!」と言い、それ以後は職員が注意して、Bさん一家が来たときはAさんを引き離すようにしていた。

それでもAさんは、わざわざ出てきてBさん一家を恨めしそうに見ていた。

一度、Aさんが〇子さんに、くってかかっている場面に出くわしたことがある。

「恨まれるのは仕方ないが、お前は血を分けた実の娘じゃないか?父親にここまで寂しい辛い思いをさせて平気なのか、それでも人間か」みたいなことを言ってた。

そしたら〇子さん、「その血を分けた娘の親友の母親と不倫をして、娘を捨てたくせに。授業参観に、私ではなくあの子の父親として学校に来たけど、その時私がどんな気持ちになったか想像できる?娘にそこまで寂しい辛い思いをさせて平気だったの?それでも人間?」

Aさんは、青ざめて「ぐぅ」って変な声出して黙ったので、

自分が「脳梗塞再発したら怖いから行きましょうね~」って部屋に連れて行ってやった。

まー単にAさんの自業自得なんだけどね、〇子さんの復讐でもあった。

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○毒親の息子が毒夫になった話

上司が離婚した。理由は大体の部下が察してるんだけど、奥さんと奥さんのお母さんを比較して奥さん下げまくってたから。

上司嫁母は傍から聞いていてもかなりの毒で、奥さんの子供の頃などは、教室に乗り込んでみんなの前で叩いたり怒鳴ったりしたというエピソードを上司から聞かされたことがある。かなりヤバそうな感じだった。

ところが上司は何故か「母子家庭で心を鬼にして一生懸命に育て上げたいいお母さん」と脳内変換され、上司嫁に子供が産まれると頻繁に上司嫁母に会わせたり、上司嫁が育児でノイローゼ気味なのを上司嫁母と「心が弱い」と笑ったりしてたらしい。

いつも「お前のお母さんがあれだけ努力して育ててくれたのに、自分は1人前じゃないことが恥ずかしくないのか?と言ってる」「嫁も部下のようなものだから」と笑っていた。

周りは自分の上司だから「疲れ果ててる奥さんにそこまで言えるって凄いですね」と皮肉半分の返ししかしていなかったのを真に受けて更にエスカレートして行ったみたい。

他店舗と合同の飲み会で上司がそれを愚痴り、他の管理職が、

「それ嫁さんのお母さんやばくない?」

「初めての育児で不出来だ不出来だってお前なんかやってたの?いつも飲み歩いてばっかじゃん」

「部下みたいなもんって、部下にそんなこと言ってんの?」

と散々突っ込まれてようやくやばいことをした自覚が湧いたらしい。

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