毒親の話5選「毒親持ちアピールする癖が付いたのだ」「小学校卒業まで自分は男だと思ってた」「亭主関白な父(毒父)とただ従うだけの人形のような母」など
・毒親持ちアピールする癖が付いたのだ
・多分次に会うのは葬式くらいじゃないかと思う
・小学校卒業まで自分は男だと思ってた
・亭主関白な父(毒父)とただ従うだけの人形のような母
・依怙贔屓が酷い毒母親
以上、5つの話を紹介します。
毒親の話5選
○毒親持ちアピールする癖が付いたのだ
毒親持ちで親と不仲とかこちらの事情を一切知らない(私が話してないし、話すべきではないような関係)から「親を裏切った」なんて暴言を吐かれたことがある
流石に聞き捨てならないので親の毒っぷりを披露したが一切謝罪無し
ちなみに精神科ではない病院の看護師なので、普通なら毒親云々の話はするべきでないのは間違いない
しかし、この看護師以外にも、事情を知らずに親に絡めた暴言(お前は親不孝者みたいな)を吐く輩が複数いたので、そんなことするのは普通じゃないと分かっていながら毒親持ちアピールをする癖が付いた
頼むから、どんな事情があるか知らなくても親・家族に絡めた暴言はNGってのが日本の常識になってほしい
そうではないうちはいつまでも毒親持ちアピールをする所存
○多分次に会うのは葬式くらいじゃないかと思う
小学校低学年から何かとつけて親のいいつけが守れないと「家から追い出す」「学校を辞めさせる」等など言われてた。
ユニセフのCMが流れただけで親の機嫌が悪いと「貧しい国の子供と取り替えてもらえ」「お前があっちの子供になればよかったんだ」と言われて育った。
確かに注意力散漫でプリントは出さないし勉強も出来なければ宿題もしない、ランドセルにカビたパンが入ってたりする問題児だった。好き嫌いも多かったし。
自分が宿題をしなかったり片付けをしなかったりなにか家の事で問題を起こす度にヒステリックに怒鳴り散らして数時間も正座をさせて説教。トイレも説教の間は許可制だった。
「はい」or「yes」の問いかけをされたり、過去のことも遡ってあれが出来てないあの時ああしなかったと延々と説教されて最終的になんで叱られてるのか分からないまま、何をすればいいのか分からないままひたすら自分は謝り倒すっていうのが常だった。
んでその後は「お前は畜生以下の学習能力しかないんだから痛みで覚えさせるしかない」って母親に言われて子供自身にに取りに行かせた物差しでケツをしばかれるのがセット。
なんで物差しなのか本人が得意げに語ってたけど「手で叩くと(自分の手が)痛いから」だった。この発言だけははっきりと覚えてる。
耳かきも子供が号泣して耳真っ赤&出血してるのに満足いくまでゴリゴリするとか、とにかく他人の痛みが分からない人だった。
そんな親とは数年前に関係を断った。
子供が親を捨てた!って思われてるけど親の方から子供である自分を捨てたってのを忘れてるんだと思う。
きっかけはなんだったか忘れたけど親のヒステリーからの説教が始まったことだった。理不尽に怒られた記憶しかなくて「お前は要らない!タヒねばいいのに!出て行け!」と怒鳴った口で数分後に「説教終わり!さあ約束してたし出かけよう!何食べに行く?」って言い出したことに先ず衝撃で、親が出かける用意をしてる最中に家出をした。
それ以前にも自分が小学生の頃に部屋の片付けをサボっていたという理由で本当に家を追い出されて、「散々土下座して入れてくださいと泣いて謝るなら入れてやる」と言われて泣いて土下座して謝罪連呼してようやく家に入れてもらったけど、「お前はもう家の子供じゃない」「お前のものは全部妹にやる」「これからはお母さんと呼ぶな。〇〇(母の名前)さんと呼びなさい。妹や父親に対してもそう呼びなさい。お前は家族じゃない」と言われたのがショックだった。この時から自分は両親の子供じゃなかった。
なので今更親ヅラしてこようとする母親がよく分からない。言う通りにしているだけで迷惑はかけていないのに何が不満なのだろう。途中から親戚の世話になったり安い短大に入ったりしてお金も普通の子供よりかかってないはずなのに。
自分はもう両親とも死んだことにするから母親も自分のことは死んだと思って欲しい。
親戚からはやんわりと「いずれは許してあげたら?」とか言われてるけど、性的虐待に近いものも受けてたしトラウマもまだ残ってるから許せそうにはない。というか許す理由がない。
怒りとかはもうあんまりないけど会いたくは無いので多分次に会うのは葬式くらいじゃないかと思う。
○小学校卒業まで自分は男だと思ってた
小学校卒業まで自分は男だと思ってた
両親は私をあきらならあーくん、みたいな愛称+くん付けで呼んでいたし違和感も無かった
11歳上の姉が卒業式が終わってすぐにおやつを買いに行こうと連れ出してくれたたい焼き屋で「あんた女の子なんだよ」と教えてくれた
言われた瞬間は意味が分からなかったけどすぐに色んな事を思い出した
プールの授業は父が絶対に休めと言って保護者同意書みたいなのにサインしてくれずプールサイドで過ごした
自分の事を私という一人称で呼ぶ度にご飯抜きだった
プリキュアを見てたら殴られた
生理が来た時はガレージに閉じ込められた
本気でその時まで忘れてたし可愛がられてるって思ってた
生理の話なんて1ヶ月以内の出来事なのに完全に頭から消えていた
同時にその都度姉が庇ってくれてた事も思い出した
気持ち悪くなりつつ出た言葉は「忘れててごめん」だけだった
姉はわんわん泣きながら児童相談所も警察も先生も取り合ってくれなかった、私がどうにかするしかないと思って準備してきた、と話してくれた
明日両親が仕事に出たら家を出ようと言われて頷くしかなかった
次の日に姉の彼氏さんと姉と3人で私物をまとめて姉彼実家に向かった
出てきた姉彼のお母さんが笑顔で入れてくれた
前から姉が話を通して私を迎える事になっていたらしく姉彼父さんが最大限の協力をすると宣言してくれた
そこからは私はほぼノータッチで事が進んだ
病院に連れて行かれて記憶障害があると診断されて身体中の古い痣も発見された
後はカウンセラーやら弁護士さんやらに話を聞かれている内にいつの間にか両親は虐待で捕まっていた
中学校からスカートで通ったのは何だか恥ずかしかったし自分は男だという認識が抜けなかった
幸い友達連中にはそういう厨二病として受け入れられていたから虐められはしなかった
高校生になってようやく女として生きるのに慣れた
姉彼実家は姉カップルは結婚したし邪魔だろうから高校の寮に入ると出るつもりだったけど姉彼両親に止められた
「私ちゃんはうちの娘だよ、出なくて良いよ」と言われて泣いた
今はもう私も20代で一人暮らしになってる
でも姉夫婦の家はご近所だからよく一緒に過ごしてるし姉夫実家にもたまに帰って姉夫両親と買い物に行く
何故か頭がバグっていて異性にも同性にも恋愛感情を抱けないし生理は来なくなったから子供も出来ない
でも姉のお腹に居る甥か姪を精一杯可愛がろうと思う
○亭主関白な父(毒父)とただ従うだけの人形のような母
亭主関白な父と専業主婦の母の元で育った。
父は女の子は女の子らしくという固定観念の持ち主で、私はいつもロングヘア―にスカート。
小学生の時、アスレチックのある公園へ友達と遊びに行こう、みんなジーンズで行こうって話になって、母に頼んでジーンズを買ってもらった。初めてのズボン。
そうしたら父に見つかり怒られた。
母は父に謝り、私にも父に謝るよう言い、ジーンズをお店に返品に言った。
プールや日焼けですぐ髪の毛が赤くなっちゃう髪質で、母に髪を黒く染められるのも嫌だった。
父の言いつけで近くの女子高へ進学した。偏差値は高くないけど地味な校風が父のお気に召したんだろう。
私の成績ならもっと上の偏差値の高校も狙えたのに、母も父に賛成した。
高校ではそこそこの成績をキープ、クラス委員をしたり、それなりに上手くやっているつもりだった。
でも庇っていたいじめられっ子に逆恨みされ、反りの合わない先生に吊し上げられ、ある日、私は学校を飛び出した。
それまでの生活で関わったことがないような金髪ロン毛の男についていったり、地元を離れあちこちを転々とした。
店に売られそうになったこともある。荒れに荒れた。
でもある友人に救われた。
母子家庭で苦労してるのに独学で国立大学進学したすごい人。
その人のおかげで立ち直れたし就職できた。
お飾りの中間管理職に祭り上げられて部下に悩まされたりしたけど、友に恵まれてなんとかやってる。
昔の反動か、今は男っぽい服ばかり着てる。
地元には一度も帰っていない。
父と母の夢を見ることがある。
私がいなくなったことが原因でケンカしてた。
父と母のケンカなんて現実では見たことなかったな。
○依怙贔屓が酷い毒母親
姉がスレタイ。
8歳の甥っ子と4歳の姪っ子がいるけど、たまに会うだけの私ですら姪っ子の方を贔屓してる感じがした。
写真の量も妹の方が明らかに多い。甥っ子の時は記念写真なんか撮らなかったのに、姪っ子が生まれた時は記念写真だ赤ちゃんが映える可愛いお洋服だのを買い漁ってた。
誕生日も、甥っ子は友達呼ぶの禁止。あまりに差をつけるので、「ちゃんと誕生日お祝いしてる?」とうちの両親が督促して、毎年ケーキやご馳走を並べて、笑った写真が送られてくる。欲しいものは買ってあげてるみたい。
姪っ子はお友達を沢山呼んで、レストランでお誕生日会を開く。だからプレゼントの量も姪っ子の方が多い。
甥っ子に「お母さん、俺の事嫌いなんだと思う。話しかけても目も合わせてくれない。妹が同じ話を振ると喜んでニコニコして話を聞くんだよ。なんで?俺何かしたの?お父さんが凄く心配してる」と言われて、これはまずいということで、甥っ子の誕生日は親族まで集めて行うことになった。
姉夫とその両親、姉、姉夫、甥っ子、姪っ子、私、私の妹、私の両親で集まった。
まず主役は甥っ子なのに、姪っ子がピアノの発表会並のドレスを着せられ、甥っ子が普段着なのが気になった。
姉「お兄ちゃん、冷蔵庫にケーキがあるから自分で出して。ロウソクくらい付けられるよね?いつもしてるから」
え?セルフ?とその場にいた全員が待ったをかけて、姉夫が慌ててケーキを出してロウソクに火をつけた。
だけど姉は何も言わない。姉夫が「今年はみんないるから、歌を歌い終わったらロウソクを消すんだよ」と促して、みんなでハッピーバースデーの歌を歌って、それから火を吹き消させた。でも姉は無言。
おめでとう〜!と拍手している時も、姉はつまらなさそうで拍手もしない。
両親が「お母さんが取り分けてあげなさい」と姉に促すも、「ケーキくらい自分で切れるでしょ?ちゃんと取り分けてね」と目も合わせない。
姉夫が「お母さんは疲れてるのかもね。ほら、パパが取り分けてあげるから」と明らかに焦っていた。
プレゼントをあげる時、姪っ子がお手紙を渡しながら「お兄ちゃん、お誕生日おめでとう」と言うとようやく「きゃー!いい子ねー!ちゃんとおめでとうって言ってあげたねー!!○○ちゃん(姪っ子)のお誕生日はもっと沢山の人を呼ぼうね!!姪っ子ちゃんの大好きな唐揚げも沢山作ってあげる!!」とハイテンション。
甥っ子が俯いて目をギュッと瞑ったので、もう親族全員で甥っ子を構いまくった。
後日子供たち除く親族全員で話し合いを行った結果、姉ははっきりと「息子は可愛くない。息子が同じ空間にいることが耐えられない。私と夫と娘だけで暮らしたい」と言った。
「何が嫌なの?」と聞いても「別に悪いことをしたわけじゃない。聞き分けもいい。だけど生理的に受け付けない。気持ち悪い。一緒にいたくない。嫌い」と答えるだけ。
姉夫は「それなら別居して、俺が息子、君が娘を引き取るか?」と言ったら、
「息子のせいで大好きな夫さんと別れるなんて嫌です。夫さんと娘だけが私の中で本当の家族なんです。わかってください」
もうびっくりして言葉が出なかった。元々少しわがままな所はあったけど、ここまでとは思ってなかった。
最終的に「何も悪くない息子にそこまで残酷なことができる人を妻として見られる自信が無い。これ以上同じことをするなら離婚も考えたい。その時は息子は俺が連れていく」と行ったら「どうして家族をバラバラにするの!?」と泣き出すし。
あまりの拒否っぷりに「甥っ子は他の男との間に出来た子」疑惑が持ち上がって大モメ中。
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