【名言】『夏目漱石』稀代の小説家の残した言葉


名前:夏目 漱石
本名:夏目 金之助(なつめ きんのすけ)
誕生日:1867年2月9日(慶応3年1月5日)
死去日:1916年(大正5年)12月9日49歳没)
出生地:江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)

日本の小説家、評論家、英文学者。俳号は愚陀仏。

大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学。帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。

その後朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となった。

夏目漱石の名言集

牛のように図々しく進んで行くのが大事です

 

私は冷かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています

 

女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても自分だけに集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いように思われます

 

愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ

 

たいていの男は意気地なしね、いざとなると

 

君、弱い事を言ってはいけない。僕も弱い男だが、弱いなりに死ぬまでやるのである

 

真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ

 

わざわざ人の嫌がるようなことを云ったりしたりするんです。そうでもしなければ僕の存在を人に認めさせる事が出来ないんです。僕は無能です。仕方がないからせめて人に嫌われてでもみようと思うのです

 

馬は走る。花は咲く。人は書く。自分自身になりたいが為に

 

考えてみると世間の大部分の人は悪くなることを奨励しているように思う。悪くならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊ちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する

 

自らを尊しと思わぬものは奴隷なり

 

嫌な女も好きな女もあり、その好きな女にも嫌なところがあって、その興味を持っている全ての女の中で、一番あなたが好きだと云われてこそ、あなたは本当に愛されているんじゃありませんか?

 

ある人は十銭をもって一円の十分の一と解釈する。ある人は十銭をもって一銭の十倍と解釈する。同じ言葉が人によって高くも低くもなる

 

もし人格のないものが無闇に個性を発展させようとすると、他を妨害する。権力を用いようとすると濫用に流れる。金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。随分危険な現象を呈するに至るのです

 

嘘は河豚汁である。その場限りでたたりがなければこれほどうまいものはない。しかしあたったが最後苦しい血も吐かねばならぬ

 

真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実に行え。汝の現今に播く種はやがて汝の収むべき未来となって現わるべし

 

呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする

 

離れればいくら親しくってもそれきりになる代わりに、一緒にいさえすれば、たとい敵同士でもどうにかこうにかなるものだ。つまりそれが人間なんだろう

 

金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう

 

ナポレオンでもアレキサンダーでも、勝って満足したものは一人もいない

 

色を見るものは形を見ず、形を見るものは質を見ず

 

恐れてはいけません。暗いものをじっと見つめて、その中からあなたの参考になるものをお掴みなさい

 

恋心というやつ、いくら罵りわめいたところで、おいそれと胸の砦を出ていくものでありますまい

 

鏡は自惚れの醸造器である如く、同時に自慢の消毒器である

 

自己を捨てて神に走るものは神の奴隷である

 

自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いな人はきっと落ちぶれるものと信じている

 

道徳に加勢する者は一時の勝利者には違いないが、永久の敗北者だ。自然に従う者は一時の敗北者だが、永久の勝利者だ

 

あらゆる芸術の士は、人の世をのどかにし、人の心を豊かにするがゆえに尊い

 

教えを受ける人だけが自分を開放する義務を有っていると思うのは間違っています。教える人も己れを貴方の前に打ち明けるのです

 

人間は角があると世の中を転がって行くのが骨が折れて損だよ

 

人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ

 

他の親切は、その当時にこそ余計なお世話に見えるが、後になると、もういっぺんうるさく干渉してもらいたい時期が来るものである

 

世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ

 

表面を作る者を世人は偽善者という。偽善者でも何でもよい。表面を作るという事は内部を改良する一種の方法である

 

時代の風潮、自分を取り巻く環境、さまざまな価値観、それらを正しく見きわめ、自分の判断で行動できるのは、どこにも属さない「迷子」だけだ

 

ああ、苦しい、今、死にたくない

 

人間の目的は、生まれた本人が本人自身に作ったものでなければならない

 

あなたが今、撒く種はやがて、あなたの未来となって現れる

 

古い道徳を破壊することは、新しい道徳を建立する時にだけ許されるです

 

妄りに過去に執着するなかれ、いたずらに将来にを属するなかれ、渾身の力を込めて現在に働けというのが、私の主義なのである

 

人間は自分の力も自分で試してみないうちは分かりません。握力などは一分で試すことができるが、自分の忍耐力や文学上の力や強情の度合などは、やれるだけやってみないと自分で自分に見当のつかないものなのです

 

死ぬまで進歩するつもりでやればいいではないか。作に対したら一生懸命に自分のあらんかぎりの力をつくしてやればいいではないか。後悔は結構だが、これは自己の芸術的良心に対しての話で、世間の批評家やなにかに対して後悔する必要はあるまい

 

職業というものは要するに、人のためにするものだということに、どうしても根本義を置かなければなりません。人のためにする結果が己のためになるのだから、元はどうしても他人本位である。すでに他人本位であるからには種類の選択分量の多少すべて他を目安にして働かなければならない

 

乗り切るも、倒れるのも、ことごとく自力のもたらす結果である

 

俺の進むべき道があった!ようやく掘り当てた!こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて心を安んずることができるでしょう

 

僕は十年計画で敵をたおすつもりだったが、近年これほど短気なことはないと思って百年計画にあらためました。百年計画なら大丈夫。誰が出て来ても負けません

 

その一人の人は、人間全体を代表していると同時に、その人一人を代表している

 

私は常からこう考えています。第一に貴方がたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ち付けべく、自分のぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると

 

運命は神の考えることだ。 人間は人間らしく働けば それで結構だ

 

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