過剰な完璧主義は喜びが少ない。喜びが乏しい人生を送ることになる。

完璧主義は完璧じゃないと喜べない。

たとえばテスト。

ある完璧主義者は100点じゃないと喜べない。80点では喜べないし、90点でも喜べないし、99点でも喜べない。100点をとったときだけしか喜べない。

ある完璧主義者は完璧な美貌じゃなくては喜べない。シミがひとつでもあると絶望的な気持ちになる。鼻毛がちょろっと出ていただけでも死にたい気持ちになる。

ある完璧主義は仕事を完璧にこなさないと喜べない。少しのミスで悔しがる。他人に僅差で負けただけでも怒りを感じる。病気で体調が悪くて失敗しても怒りを感じる。

ある完璧主義者は完璧な絵を描かないと喜べない。少しでも気に入らないと紙を破る。絵筆を壁に叩きつける。曲線が少しでも理想よりズレていると腹を立てる。

以上のように完璧主義者は完璧じゃないと喜べない。

高い目標やレベルに到達するには完璧主義は必要かもしれない。

でもすべての物事に完璧さを求めていたら精神を病んでしまう率が高くなってしまう。

たとえば箸の使い方。箸は多少間違った使い方でもご飯を食べることができる。でも箸の使い方に完璧さを求める人は完璧に使いこなせないと満足できない。少しでも間違った使い方をしたら不満が生じる。美味しいご飯を食べているときでも箸の使い方が気に入らなければ不満を抱く。

化粧の完璧さを求めてない人は多少化粧のノリが悪くても気にしない。こういう日もあるさと思える。でも化粧に完璧さを求める人は少しでも化粧のノリが悪いと不機嫌になる。ヒステリーを起こす人さえいる。

なんでもかんでも完璧さを求めてしまうと日常生活を送ることさえ困難になってしまう場合があるのだ。

だからなんでもかんでも完璧さを求めるのはやめたほうがいい。

完璧主義は劣等感を強くする

完璧主義は完璧な結果のときだけプラス評価する。

テストでは100点をとったときだけプラス評価する。それ以外の点数のときはマイナス評価する。

仕事ではノルマを達成したときだけプラス評価する。それ以外のときはマイナス評価する。病気でノルマを達成できなかったときもマイナス評価する。

以上のように完璧な結果のときだけプラス評価する。それ以外のときはマイナス評価する。マイナス評価をすれば悔しさを感じる。同時に劣等感を感じる。完璧な結果と現実の結果を比較して劣等感を抱く。

完璧主義者は完璧な結果だけしかプラス評価しない。それ以外の結果にはマイナス評価をする。完璧な結果なんてそう簡単に得られるものではない。ほとんどの場合、不完全な結果しか得ることができない。つまり、完璧主義者はマイナス評価をしてしまうことが多くなるということだ。

プラス評価よりマイナス評価のほうが多い人生を送っていれば否応なしに劣等感が強くなってしまう。

そんな人生は不幸だし、苦しいし、楽しくない。

うつ病になるリスクも高くなるし、希死念慮を抱くリスクも高くなる生き方だ。

ストイックでかっこ良いと思う人もいるかもしれないが、僕的には自虐的な生き方にしか見えない。自ら不幸になる生き方をしているようにしか見えない。

そんな生き方が健全とは思えない。不健全にしか思えない。

だから僕はそんな完璧ばかりを求める不健全な生き方はやめたほうがいいと思っている。そんな生き方をしている人は今すぐやめたほうがいいと言いたい。やめて幸せを多く感じられる生き方をしたほうがいいと思う。

今回は失敗してしまった。次は失敗しないよう頑張ろうくらいの気楽な気持ちで生きたほうがいいと思う。そのほうが楽しく生きられると思う。

今回は失敗してしまった。でも良い部分もあった。評価できる部分もあった。と考えるほうが幸せを感じることができると思う。そう考えるほうが大きな幸せに近づけると思う。

過剰な完璧主義はやめたほうがいい。マイナス評価が多くなり、劣等感を抱くことが多くなってしまう過剰な完璧主義は今すぐやめたほうがいい。

僕は心からそう思っている。

劣等感が強くなると自意識過剰になる

劣等感が強くなると自分に自信が持てなくなる。

自分に自信がないと他人を意識するようになる。

他人に笑われているのではないか、馬鹿にされているのではないか、嫌悪感を抱かれているのではないか、いじめの対象にされようとしているのではないか、と考えてしまうせいだ。自分に自信がないせいでそんなネガティブなことを考えてしまうのだ。

自分に自信がある人は他人が笑っているとは考えない。他人に嫌悪感を抱かれているかもと考えない。他人にいじめられるかもと考えない。自信があるからそんなこと考えないのだ。

でも劣等感を抱き、自信を喪失している人はそんなネガティブなことばかり考えてしまう。自信がないせいで自信のない部分を馬鹿にされたり、嫌悪されたり、いじめの理由にされたりするのではと考えてしまう。

完璧主義者はマイナス評価をすることが多いため劣等感を抱きやすい。当然、劣等感を強くなってしまう可能性も高い。当然、自意識過剰に陥る可能性も高い。

自信を喪失して、自意識過剰になりたくないなら過剰な完璧主義はやめたほうがいい。

今の自分にできることを精一杯やる。それで十分だと思う。

完璧主義者はできないことすら完璧にやろうとしてしまう。そんなの不自然だし、不可能だ。そんな自然の摂理に反した生き方を完璧主義者はしてしまうことがあるのだ。

そんなの不毛だし、病気になる率や自信喪失率を高めるだけだ。

そんなリスクのある過剰な完璧を求める生き方はやめたほうがいい。

完璧主義者は”すべき思考”に陥りやすい

男は弱音を吐いてはいけない。そう自分に言い聞かせ、絶対に弱音を吐かない。弱音を吐くことは自分の価値を下げることだと思って絶対に弱音を吐かない。そういう男性がいる。

妻は旦那を立てなければならない。そう強く思っている。そう強く思っているからどんなときでも旦那を立てる。体調が悪いときでも機嫌が悪いときでも旦那を立てる。そういう女性がいる。

上記の男性も女性も完璧主義者だ。完璧に自分の信念を貫かないと気がすまないタイプの完璧主義者だ。

このような生き方をしている人は辛い。どんな状況・状態でも自分の信念を貫こうとするからだ。病気のときもイライラしているときも疲労困憊のときも信念を貫こうとする。○○しなければ自分の価値が下がると思って頑張ってしまう。常に○○しなければならないと考えて、義務を完璧に果たそうと頑張ってしまう。

僕にはこのようなタイプの完璧主義者は奴隷にしか見えない。義務を果たすためにがんばり続ける奴隷にしか見えない。

そんな奴隷に見える完璧主義者が幸せには見えない。不幸にしか見えない。

義務は闇雲に守ればいいというものではない。完璧に守らなくてもいい義務もある。たとえば弱音。男だからといって常に弱音を吐かずにいなくてもいいと思う。ときどきは弱音を吐いてもいいと思う。それくらいの権利はあると思う。

夫を立てることだって常にしなくてもいいと思う。疲れているとき、余裕がないときは別にその義務を果たさなくてもいいと思う。

もちろん、この世には人を殺してはいけないという義務みたいにぜったい守らなければいけない義務も存在する。でも、上記のように完璧に守る必要のない義務だってある。

でも完璧主義者の中にはそれがわかってない人がいる。わかってないせいで完璧に守らなくてもいい義務まで完璧に守ろうとする人がいる。

そんなどんな義務でも完璧に守ろうとする生き方をしていれば病気になるのは当然だし、喜びを感じる機会が少なくなるのも当然だ。

そんな辛い生き方はやめたほうがいい。

今自分の守っている義務が常に完璧に果たさなければいけないか否かを考えてみてほしい。

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