ドン引きする話2選「これは私の神経がわからない話です」「いまだに元夫のことがよく分からない」
・これは私の神経がわからない話です
・いまだに元夫のことがよく分からない
以上、2つの話を紹介します。
ドン引きする話2選
○これは私の神経がわからない話です
数年前、夫が深夜に頭の血管を詰まらせました。
嘔吐、脱糞などあたりは惨憺たるありさまでした。臭いがすごかったのを覚えています。
吐瀉物を喉につまらせないよう横向きにしてすぐさま救急車を呼びましたが、到着する頃に意識を取り戻した夫は救急車の乗車を拒否。
呂律が回ってないのに大丈夫だと言うのです。
救急隊員の方たちも無理に乗せられないと言い、私は気が遠くなりました。
その後夫の意識が再びなくなったので頼み込んで乗せてもらい、ギリギリのところで夫は命を繋ぎました。
右半身に麻痺が出たものの、夫は節制をはじめみるみる体重を減らし、別人のようになりました。
しかしこのコロナ禍で夫の悪い虫が騒ぎ出したのです。
ジムが休館となり、自粛ムードに出歩くのも憚られる状態。たちまち運動不足になりました。
やることがないのでストレスから食欲が爆発して、夫の暴食が再開しました。
あっという間に太っていく夫に私はなにもできませんでした。
言い訳ですが、いくら気をつかった食事を出そうが仕事中や帰宅途中に暴食されては打つ手がありませんから。
そしていつかのように夫を脳梗塞が襲いました。くしくもあの時のように就寝中のことでした。
でも、私は冷静でした。
二度目だから処置に慣れていたとかそんなんではありません。
前回の時、医師からかけられた言葉を覚えていたからです。医師曰く、あと30分遅かったら夫は命を落としていたそうです。
だから待ちました。
30分以上すぎてからようやく私は動き出しました。すでに呼吸が細くなっている夫の名を呼び、119に電話をかけ、献身的に手当てをしました。
結果的に夫は亡くなりましたが、後悔はしていません。
結婚してからずっと夫の不摂生ぶりには悩んできました。
野菜を取らず、好き嫌いが激しく、味の好みがうるさくてストレスでした。
大の病院嫌いで、歯医者にも行かないので夫の歯が抜け落ちたことも知っています。
前回の時以降生活習慣を改善してくれたので抑えていましたが、夫の不摂生が復活したので我慢ができなくなったのです。
好きで病気になったのだから、好きに逝かせてやりました。
人として最低な行いをしたのは認めます。
だからこれは私の神経がわからない話です。
○いまだに元夫のことがよく分からない
結婚して4年目に職場の健診で「要精検」が出た。
旦那にそれを話したら「大した事ないだろ」と一言だけ。
初めての経験だったからすごく怖かったけど、そっか大したことないのかって、その時は冷静になれたことを感謝した。
だけど結果、胃癌Ⅱ期だと告げられ「次の診察はご主人といらしてください」と言われて、夫に結果と共にそのことを話して「一緒に行ってくれる?」と言ったら「んなもんひとりで聞けるだろ」と言われた。
「いや、さっきも言ったけど先生が・・・」と言いかけた途中で「面倒くせーよ。俺が行っても行かなくても結果は変わらないだろ」と言われ、
「そう言う事じゃなくて、今後の治療方針の説明とか確認とか色々あるんだと思うよ」って言ったら「俺らに治療のことなんか分かるもんか。医者に任すって言っとけ」と言われた。
元々クールで情に薄いところはあったが、妻の命に係わる重大事項に関してこの冷たさには激しくショックだった。
結局実家の母に話して、夫の都合が合わずってことにして母に同席してもらったんだが、話を聞いて母が激怒して夫に文句言ったら、今度は夫から私に「いい年して親にチクるとか馬鹿か」と言われた。
私はひとりで先生の話を聞くのが怖かった。その気持ちを少しも理解してくれない。
それに、この人は妻の病状が気にならないんだろうか?と思った。
この一件で、夫に対する愛情など吹っ飛んでしまった。
母からとにかく今は身体のことだけ考えなさいと諭されて手術を受けた。
手術の日も夫は仕事優先で来なくて、母と妹が来てくれた。
3分の2を切除して一ヶ月近く入院したが、夫が見舞いに来たのは3回。
それも「のんびりできていいなぁ」「代わりてぇ」だって。
入院中は離婚の算段しかしてなかった。
Ⅱ期は比較的生存率は高い。でも100%ではない。
そう思った時、いつどうなるか分からない人生をこの人と一緒になんてごめんだと思った。
母には離婚する気持ちは伝えてあった。母も納得してくれてた。
退院して半年後に離婚を切り出した。あっさりOKされた。
夫にとっては「未婚よりバツイチの方が通りが良い」と言う理由だけの結婚だったらしい。
子供がなかなか出来なくて不妊治療しようとしたが、頑固に検査を受けてくれなかった夫に対して、男の人のプライドって面倒臭いなと思ってたが、たぶんそう言う事では無かったんだろうな。
いつでも離婚していいぐらいの気持ちだったから、子供は要らなかったんだろう。
今になって思えば、子供が出来なかったのは良かったんだろうな。
そんな夫だったけど、自分がいかに世間から見たらおかしいか自覚はあったらしく、私から離婚を切り出したが、夫の方から「悪いのは俺だから」と
財産分与を放棄された。
私も仕事をしているから、ある程度まとまったお金が分与されればヨシぐらいの気持ちだったが、想定以上のお金を貰っての離婚だったから、今ちょっと楽な生活ができている。
正直、いまだに元夫のことがよく分からない。
冷たい人だったと思ったり、案外優しい人だったと思ったり・・・
でももう一度あの人と再婚しろと言われたら無理なんだけどね。
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