【名言】『シェイクスピア』イングランドの偉大な劇作家・詩人の言葉

名前 :ウィリアム・シェイクスピア
誕生日:1564年4月26日(洗礼日)
死去日:1616年4月23日(グレゴリオ暦5月3日

卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、最も優れた英文学の作家とも言われている。また彼の残した膨大な著作は、初期近代英語の実態を知る上での貴重な言語学的資料ともなっている。

2002年BBCが行った「100名の最も偉大な英国人」投票で第5位となった。

そんなシェイクスピアの名言を紹介します。

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ウィリアム・シェイクスピアの名言集

失敗の言い訳をすれば、その失敗がどんどん目立っていくだけです

謎の女「失敗の言い訳をするなんて見苦しいだけだぞ。だからやめたほうがいいのじゃ」

人間はとかく、我が手の内にある大事な物を、値打ち通りには認めぬもの、手を放れて初めてその価値に気づき、手元にあった時、自分のものであるが故に隠されていた美点が見えてくるのです

恋人と別れた後、恋人がいかに良い恋人だったかを気付くことってあるよね。そして気づいたとき思うんだ。「もっと大事にすればよかった」と。

後悔先に立たず。

そんな後悔したくなかったら今の恋人を大事にしたほうがいいですよ。

わが手にあるものは正当に値踏みをしないが、一度それを失うと価値をつけたくなるのが人情である

 

安心、それが人間の最も近くにいる敵である

 

恋はまことに影法師、いくら追っても逃げていく。こちらが逃げれば追ってきて、こちらが追えば逃げていく

でも、ときどき追いかければ捕まえられる恋もあるんですよね。だから人は恋を追いかけてしまう。捕まえられるかもしれないと淡い期待に突き動かされて追いかけてしまう。

根性の曲がった者には賢いことも善いことも曲がって見える。汚い者には汚いものしか口に合わない

よく寄付してる人を見て、偽善とかバカにしてる人いますよね。でもそういう人には偽善すらできないドケチ人間が多いんですよね。

そんなドケチ人間よりもたとえ偽善だったとしても寄付できる人のほうが遥かにマシだと思います。

人の傷を笑うのは、傷の痛みを感じたことのないやつだ

人の傷を笑うのは、サディストか、バカか、劣等感の強い奴かの、どれかだと思う。

テンポがくずれ、音のバランスが狂うと、甘い音楽も不快なもの!人の暮らしもおなじなんだ

テンポ良く生きようってことですね。バランス良く生きようってことですね。

時というものは、それぞれの人間によって、それぞれの速さで走るものなのだよ

人それぞれペースが違うのだから、無理に他人のペースに合わせる必要はないってことですね。でも他人のペースに合わせないとバカにされたり、仲間外れにされたりする可能性が高くなるから、ついつい他人のペースに合わせてしまうんですよね。

でも、他人のペースに合わせてばかりだと疲れてしまうので、自分のペースも大事に生きたほうがいいです。

神は、我々を人間にするために、何らかの欠点を与える

女神さま「あなたの欠点はあなたを人間にするために存在してるのですよ。だから自分の欠点を否定しないでね」

頑固な人には、自ら招いた難儀がいちばんよい教師になるにきまってます

 

人殺しを許す慈悲は人殺しを育てるに等しい

人には絶対に許してはいけないことがある!

敵のため火を吹く怒りも、加熱しすぎては自分が火傷する

怒りが激し過ぎると、壁を殴ったり、ヤケ酒を飲んだりなどの自傷行為をしてしまったりするよね。

どのくらい、と言えるような愛は卑しい愛にすぎぬ

 

「今が最悪」と言える間は、最悪ではない

本当に最悪のときは「最悪」と言う余裕すらないように思える。

もっとよく、というあがきが、往々にして、すでによいことを台無しにしてしまう

「何事も70点くらいで満足するのがが良い」

と、誰かが言っていた気がします。

他人もまた同じ悲しみに悩んでいると思えば、心の傷はいやされなくても、気は楽になる

「苦しいのは自分だけじゃない!悲しいのは自分だけじゃない!」と考えると確かに心が楽になるよね。

毎日が休日だったら、遊びも仕事と同じように退屈なものになるだろう

人は飽きる生き物だからね。

人の言葉は善意に取れ。その方が五倍も賢い

 

不幸を治す薬は希望よりほかにない

 

腐った百合の花は雑草よりも悪臭を放つ

紀州のドンファンの嫁!

彼女は腐った百合の花です。彼女のことを調べれば彼女がどれだけ腐った百合の花かわかって頂けると思います。

人間の心というものは、活動がとまってしまうと、雑草が生えるものだ

心が草ボウボウになる前に行動しましょう。

事情が変われば己も変わるような愛、相手が心を移せば己も心を移そうとする愛、そんな愛は愛ではない

「秋の空のように変化する愛は本物の愛ではない!」ってことかな?

自分の内にいかなる音楽も持たず、甘美な音の調和に心を少しも動かされぬ人間こそ、謀反と謀略と略奪に適した人間だ

なるほど!(本当はぜんぜん意味がわからない)

この世はすべて舞台だ。そして男も女もその役者に過ぎない

ほとんどの人はその舞台の上で主人公になりたいって思っている。でもほとんどの人は主人公になれないまま人生を終える。

一度笑い飛ばした人生は、後で泣いて見せても取り返しはつかぬ

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人は死ぬも生きるも自分の意のままにならない

 

人間というものは、不運になると、己が招いた災いだというのに、それを太陽や月や星のせいにしがちだ

誰かのせい、何かのせいにしたほうが楽ですからね。

火を消し尽くすのは別の火であり、苦痛を和らげるのは別の苦痛というわけだ。絶望的な悲しみには別の悲しみを持ってくることだ

「目には目を!歯には歯を!悲しみには悲しみを!苦痛には苦痛を!」

ってことでしょうか?

恋は雨の後の太陽、肉欲は太陽の後の嵐

恋人と肉欲を満たし合っているときは、太陽が出ているにもかかわらず嵐が発生している異常気象状態ってことでしょうか?

女は神と悪魔の共同製作品である

 

自分の中にある疑念は、裏切り者である。それは、試みることを恐れさせ、手にすることができたかもしれない勝利を取り逃がさせてしまう

 

何事にも、何故ないし何の為という理由なり原因がある

 

男は言い寄る時だけが春で、夫婦になってしまうともう冬だ。女は娘でいるうちは五月の花時のようだが、亭主持ちになるとたちまち空模様が変わる

なんかこの名言を読むたびに「結婚は地獄」ってイメージが強化されていくような気がします。

人の成すことには潮時というものがある。うまく満ち潮に乗れば成功するが、その期をのがすと、一生の航海が不幸災厄ばかりの浅瀬につかまってしまう

タイミングが大事ってことですね。

逆境が人に与えるものこそ美しい。それはガマガエルに似て醜く、毒を含んでいるが、その頭の中には宝石をはらんでいる

逆境の中にはチャンスという宝物が眠っていると考えれば、逆境も悪くないって思えますね。

誰の話でも聞いてやれ、しかし自分のことはあまり話すでない。他人の意見をよく聞き、だが判断は差し控えておくこと

 

雄弁が役に立たないときにも、純粋な、無邪気な沈黙が、かえって相手を説得することがある

言葉が役に立たない相手には、無言の圧力!を使ってみましょう。

今晩一晩は我慢しなさい。そうすれば、この次はこらえるのが楽になる。そして、その次はもっと楽になる

 

馬鹿は自分のことを賢いと思い、賢明な人間は自分が愚か者であることを知っている

バカは勉強しないから、知識量が増えないし、思考力も強化されないから、いつまでたっても自分は賢いと思い続けてしまうんです。そんな哀れな生き物なのです。

天国と地上の間には、世の哲学などの思い及ばぬことが多数ある

 

人生は不安定な航海だ

だからこそ人は安定を求める!

詩人と恋する人と気違いは同一人物である

「詩人と恋する人と変態とストーカーは同一人物である!」

という場合があります。

俺は名誉なんかほしくない。名誉は葬式の紋章にすぎない

 

おお運命よ、運命よ、みなが汝を浮気者だという

私は「運命はサディストだ!」と思うことが多いです。

人間の一生は善と悪とを縒り合わせた糸で編んだ綱なのだ。我々の美点は欠点によって鞭打たれる事がなければ高慢になるだろうし、我々の罪悪は美徳によって慰められる事が無ければ絶望するだろう

欠点が少なければ少ないほど人は傲慢になりやすくなるってことかな?

期待はあらゆる苦悩のもと

とある哲学者「期待が増えるほどに失望も増える」

慈悲の心で裁きをやわらげよ

ストレス社会の日本では心に余裕がない人が多いので、攻撃的な人も多い。そのせいで他人に厳しい人も多い。

恋がもし盲目なら、恋の矢はいつも外れるはず

恋すれば恋するほどに相手のことしか見えなくなっていくのに、そんな良く見える相手に、恋の矢がなかなか当たらないのはなぜだろう?

自分と同列の人間を恐れながら生きるのなどは真っ平だ

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず 人間は生まれながらに平等であって、貴賤・上下の差別はない」

と福沢諭吉は言っているのに、なぜ世の中には他人を見下す人が多いのだろうか?きっとバカが多いんだろうと思う。

皆さん、そんなバカのことは無視して楽しく生きましょう。

まず計画はよく行き届いた適切なものであることが第一。これが確認できたら断固として実行する。ちょっとした嫌気のために、実行の決意を投げ棄ててはならない

 

青春はとかく己に謀反したがるもの、そばに誘惑する人がいなくとも

若い人ほど反社会的な生き方をしている人がカッコいいと思う人が多くなる。

己の子どもを知るは賢い父親だ

子供に義務やルールを押し付ける父親はたくさんいるけど、子供のことを知る努力をする父親は少ない。つまりシェイクスピア的には賢くない父親が多いってことになりますね。

失敗は星々の間ではなく、我々自身の中にある

 

美しい妻を持っていることは地獄だ

>>>美しい妻を持っていることが地獄の理由<<<
誰かに奪われるのではないかと毎日不安
捨てられるのではないかと毎日不安
自分のような男に彼女を幸せにできるのだろうかと毎日不安
彼女に嫌われるのではないかと毎日不安
彼女が咳をしているだけで酷く心配してしまう
彼女が車に乗っているだけでも酷く心配してしまう
彼女を失うのではないかと毎日不安

とにかく美人の妻を持つと毎日が不安。だから地獄。

貧乏でも満足している人間は金持ち、それとも非常な金持ちです。だが、大金持ちでも、いつ貧乏になるかとびくついている人間は、冬枯れのようなものです

 

喜怒哀楽の激しさは、その感情とともに実力までも滅ぼす

 

自然でない行いは、自然でない混乱を生む

自然でない行いとは何?

栄光は水面の輪のようなものだ。輪は広がりすぎて消えてしまうまで、どんどん大きくなり続けるからである

 

今望んでいるものを手にして、何の得があろうか。それは夢、瞬間の出来事、泡のように消えてしまう束の間の喜びでしかない

 

狂ったこの世で狂うなら気は確かだ

「戦場という狂った場所で気が狂わない人間は異常。気が狂う人間は正常」

って誰かが言っていた気がする。

「正常=気は確か」というならシェイクスピアの言うことは正しいということになる。

罪悪で出世する者もいれば、美徳で落ちぶれる者もいる

極悪人が大金持ちになることもあれば、超善人が死刑になることもある。

悲しみに助言や慰めを言えるのは、自分がその悲しみを感じないからだ

 

そう、当事者以外の者にはどんな悲しみも我慢できるものだ

 

人間の生活においても、ある種の潮流がある。満潮に乗れば、幸運に導かれる。無視をすれば、人生の旅は苦しみの浅瀬に漂うだけとなる。私たちは今、そういう海に浮かんでいる。だから、その潮流に乗らなければならない。さもなければ、賭けているものをすべて失くすことになるのだ

 

天は自ら行動しない者に救いの手をさしのべない

 

止めれば止めるほど燃え立つのが恋だ。せせらぎの音も優しく滑りゆく流れも、せき止められれば気短かに騒ぎ立てる

 

善も悪もいっさい存在しない。ただ、人間の思考がそれらを作り出すのだ

善も悪も人間を縛り付けるために人間が作り出したものです。

険しい坂(丘)を登るためには、最初からゆっくり歩くことが必要である

 

雑草をはこびらせるのは風が柔らかすぎるからだ。逆賊どもが図々しくなるのは、政令が寛大すぎるからだ

 

恋人のところへ行く時は、学校の生徒が教科書を離れるときのように嬉しいが、恋人と別れるときは、重い本をさげて学校へ行く時のように悲しい

 

習慣も大事だが、なかには守るより破ったほうがいいものもある

お腹を壊しているとき、廊下を走らないというルールを真面目に守るのと、廊下を走らないというルールを破るの、どちらの行動のほうが良いと思いますか?

ルールを破ったほうが良いと思いますよね。ルールを破ったほうがおもらししないですむ可能性が高くなるのですから、こちらを選ぶのは当然のことですよね。

というわけでルールを破ったほうが良い場合があるので、臨機応変に行動できる柔軟性を身に着けましょう。

過ぎ去った不幸を嘆くのは、すぐにまた新しい不幸を招くもとだ

類は友を呼ぶ。ゆえに不幸は不幸を呼ぶ。

愛は万人に、信頼は少数に

 

たとえ小さな斧でも、数百度これを打てば堅い樫の木も切り倒せる

 

どうせ年をとるなら、陽気な笑いでこの顔にシワをつけたいものだ

 

味わってうまい物でも消化に不快な思いをすることがある

 

賢明に、そしてゆっくりと。速く走るやつは転ぶ

 

あなたがたとえ氷のように潔癖で雪のように潔白であろうとも、世の悪口はまぬがれまい

悪口を言う奴はどこにでもいる!

偉大な人間には三種ある。生まれた時から偉大な人、努力して偉大になった人、偉大になることを強いられた人

 

成し遂げんとした志を、ただ一回の敗北によって捨ててはならぬ

安西先生「諦めたらそこで試合終了ですよ」

おわり

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