【名言】『ガイウス・ユリウス・カエサル』共和政ローマ期の政治家、軍人、文筆家の言葉。

ガイウス・ユリウス・カエサル(紀元前100年 – 紀元前44年3月15日)は、共和政ローマ期の政治家、軍人であり、文筆家。「賽は投げられた」(alea iacta est)、「来た、見た、勝った」(veni, vidi, vici) 、「ブルータス、お前もか (et tu, Brute?)」などの特徴的な引用句でも知られる。また暦で彼の名称が使用されていた(ユリウス暦)時期が存在していた。

古代ローマで最大の野心家と言われ、マルクス・リキニウス・クラッスス及びグナエウス・ポンペイウスとの第一回三頭政治と内戦を経て、ルキウス・コルネリウス・スッラに次ぐ終身独裁官(ディクタトル)となった。

ガイウス・ユリウス・カエサルの名言集

人は喜んで自己の望むものを信じるものだ

 

わたしは王ではない。カエサルである

 

学習より創造である。創造こそ生の本質なのだ

 

概して人は、見えることについて悩むよりも、見えないことについて多く悩むものだ

 

予測されるけれども目に見えない危険は、人の心を最もかき乱す

 

率先して死のうとする男を見つけ出すのは、忍耐をもって苦痛に耐えようとしている男を発見するより容易である

 

自分は自身の考えに忠実に生きたいと思う。それは、他人も同様だろう。だから、他人の生き方も認める。そうして、敵が私に再び刃を向けることになったとしても、それは仕方ない。そのように生きることが私の願いだから

 

指示を与える者には責任があり、指示を受ける者には義務がある

 

人間とは噂の奴隷であり、しかもそれを、自分で望ましいと思う色をつけた形で信じてしまう

 

人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない

 

共和政ローマは白昼夢に過ぎない。実体も外観も無く、名前だけに過ぎない

 

何かを生み出す行動でなければ、行動とは言えない

 

苦境は、友を敵に変える

 

元老院議員諸君、諸君に限らず、すべての人間にとっても、疑わしいことに決定を迫られた際、憎悪や友情や怒りや慈悲はひとまず忘れて対するのが正当な対し方であると思う

 

ローマで二番になるより、村で一番になりたいものだ

 

理性に重きを置けば、頭脳が主人になる。だが、感情が支配するようになれば、決定を下すのは感性で、理性のたち入るすきはなくなる

 

始めたときは、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる

 

私が無事息災でいることは、ローマのためにも必要である。私は長い間権力を握っており、もし私の身の上に何かが起こったら、ローマは平穏無事であるはずがない。もしかすると悪くなる可能性があり、内乱が起こるだろう

 

身の安寧に汲々としているようでは生きている甲斐がない

 

私の発言は法律とみなされるべきだ

 

いかなる悪しき先例も、最初は正当なる措置として始まっている

 

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