【名言】『日野原重明』生涯現役を貫き続けた偉大な医師の言葉

 

人間が本当に自由になる時代が、人生の最後にくる

 

人間が人生において経験した喜びと、悩みや悲しみを、その生涯の終りに秤にかけると、どちらが重いだろうか。多くの人の秤は、悩みや悲しみのほうに傾くことが多いのではないか

 

老人のケアは苦労も多い。しかし、いつの日にかあなたも、あなたが老人にしたようなやり方で、ケアされる日が必ず来るのである

 

多くの人々は自分の財産や名声や地位を得るために全力投球している。それなのに、財産やお金よりも大切な、自分の命のために全力投球している人は少ない。なぜ、その大切な命のために、時間と財産を提供しないのか、そうして安全に確保された命を思いきり有効に使おうとしないのか。自分の命を自分で格調高く保つための勉強を、めいめいがもっとしなければならない

 

残された日々、まだ行ったことのないところに行ってみようという計画もあると思う。しかし何より大切なのは、生きることについて、これまで以上の「深さ」を求めることではないだろうか

 

老いた身の一番の不幸は孤独であり、積極的に生きる方向と目標がともに定かでないことである。この孤独は、老いた人間を悲しく沈没させてしまう

 

未知の世界に自ら飛び込んで、やったことのないことをやることによって、使ったことのない脳が働き出す

 

最期に自分の生涯を顧みて、自らが生まれてこうなったことは意味があると考えられるように、今日を生きることである

 

外科手術や化学療法の発達した今日でもなお、最も大切な治療法の一つは、キリストの時代のごとく、「言葉による癒し」なのである

 

文化は命を愛するものである。命を傷つけるものは、文化でも文明でもない

 

心の良い習慣というのは表情やしぐさにあらわれる。人の顔つきも習慣なのです

 

人は主義や主張より前に、人間であることを必要とする。人間の本質的な人間性を踏まえての、主義、主張でなければならない

 

よき眼と耳、暖かい手と配慮の心、しみ込むような言葉を持ち、患者と家族に接したい

 

どんな困難に直面しても、「ここから始まるのだ」ととらえ直すことができれば、私たちはかならず前進できます

 

自分を相手に置き換える想像力を、身につけたいものである

 

人は最後の瞬間まで、生きる希望に支えられるべきなのです

 

誰しも幸福を望みますが、それを実感することにおいてはきわめて鈍感です

 

生きていることの意味は自分で探し勝ちとるものです。それがつまり生きがいにつながります

 

人間の体には3万6000もの遺伝子がある。その多くが使われないままなんです。それはあまりにもったいない。違った環境に身を置けば、うちに秘めた未開発の良き遺伝子が、思わぬ花を咲かせるかもしれない

 

人生とは未知の自分に挑戦することだよ

 

人のために自分を捧げる喜びを知っている人を、プロと言います

 

人生には無駄というものはないもの。しかし、後にならないと、その意味がわからないということがたくさんあるのです。つらいことでも苦しいことでも、「体験」したことは、間違いなくその人の強みになります

 

習慣に早くから配慮した者は、おそらく人生の実りも大きい

 

年齢は勝ち負けではありません。謙虚に、そして存分に味わえばよいのです

 

ビジョンは大きいほうがいい。たとえ自分が実現できなくても、バトンタッチすればいいのですから

 

キリのない欲望が、あなたを幸せから遠ざけます

 

何か目標を持って活動している人の方が元気です

 

人はいくつになっても生き方を変えることができます

 

人を許せるか否か。それは人間に与えられた試練です

 

つねに10年先、20年先のことを考えてやってきたつもりです。世の中で予防医学の重要性が言われる前から、予防医学に力を入れてきたのも、そういう考えがあったからです

 

新しいことを創められる人は、いくつになっても老いることがない

 

『余生をどう送りますか?』とよく聞かれます。私は『余生はありません』と答えます。100歳でも、いつでも現役だからです

 

地位や名誉は死ねばなくなる。財産も残したところで争いの種をまくだけですが、『ありがとう』のひと言は、残される者の心をも救う、何よりの遺産です

 

今年で93歳になりますが、今できることに、今この瞬間に全力で取り組むという気持ちは少しも薄れていません

 

医学以外のところで患者さんの心の支えになることが、本当の医術ではないか

 

自ら計画した目標を実践する行動なら、少し無理と思われる行動でも、倒れることはあまりない

 

国民の意識を変えるためには、上からお説教をするのではなく、実際に行動を起こして国民に見せることが大切

 

生物的な「老化」は避けられない現象ですが、自ら新しいことを始めていれば精神的な「老い」は避けられる

 

私自身、結核という対病を経験したことで、ちょっとした健康を喜ぶことができるようになりました。幸福というものは、失われかけてはじめて気が付くものなのです

 

人間とはそもそも「病む」生き物であり、必ず欠陥を抱えて生きています。そのことを踏まえたうえで、今日という日を健やかに生きればいいのです

 

83歳まで生きた貝原益軒は「腹八分」といいましたが、私はそれよりも少ない「腹七分」がいいと実感しています。とりわけ65歳を過ぎると、若いころとは違って運動量が少なくなります。ですから、年をとればとるほど節食を心がけるようにすべきです

 

病気になるのは辛いことですが、のちのちの健康を考えれば悪いことばかりではありません。たとえば私は医学生のころ結核にかかりましたが、長く病床に伏した経験があるために、患者さんの気持ちがよくわかるようになりました。90歳を過ぎたいま、他人の何倍もの仕事をこなしていられるのは、結核を克服することで病気全般に対する免疫力、抵抗力が高まったからだと思っています

 

マルティン・ブーバーという著名な哲学者は、「人は始めることさえ忘れなければ、いつまでも若くある」という言葉を残しました。新しいことへの挑戦を続ければ、体は老い衰えても、心の若さはいつまでも続く。私なりに「創(はじ)める」という字を当てて座右の銘にしています

 

ビジネスのために人間があるのではなく、人間が人間らしく生きるためにビジネスがある

 

ものすごく忙しい。健康のために睡眠をたっぷりとり、三食きちんと食べて、適度に運動するなんていうことは私には到底できない。絵に描いた餅です。本業の医療、病院経営の仕事のほかに、物書きをしたり、1日18時間ぐらい働いています。それでも私は毎日が爽快なんです。老いて弱った体と、不規則で過密なスケジュールにうまく適応して精一杯生きる。それが私の生き方上手です

 

実は、90歳のときに10年計画の遺伝子解析プロジェクトに着手したんです。結果が出ることには私は100歳になっている計算です。無理だろうと考える人が多いでしょう(笑)。でも、日本の100歳以上のお年寄りの人口は、40年前は百数十人でしたが、いまでは2万人以上に増えている。可能性はあります。もし許されてプロジェクトを全うできるなら本当に幸福だなと思います

 

教会には「退修会」という言葉があります。世俗を離れ森の中に入って身を清めながら祈りをささげる。置かれた環境や立場の違う人たちと、一緒になって沈思黙考していると、世の中には自分よりもいろいろな制約を受けながらそれでも懸命に生きている人たちがいることに気付かされる。明日への勇気がわいてくる

 

50代、あるいは60代に向かおうとしているこれからは、いよいよ自分のやりたいように、自分が自分を開発する自由が与えられる時期です。そうして開発した自分を、社会に還元していくのが、第二の使命だと思います

 

少し肩の力を抜いて、「お上手、お上手」と自分に声をかけていきましょう

 

かつて自分ができなかったこと、やり残したことを、思い切ってやることが、「夢を叶える」ということなのです

 

やりたいことは、まだまだたくさんあります。私はどれも「できる」と信じています。信じてね、「ゴー」ですよ

 

幸福というものは、失われかけてはじめて気が付くものなのです

 

(フェイスブックについて)毎日何を書くかを考え、推敲し、アップすると、即座に読んだ人からの反応がたくさん返ってくる。これが本当に嬉しい。僕はもう、毎日わくわくしています。こんな楽しいことをなかっやらたら、もったいないですよ!

 

私たちは運命を生きるのではなく、運命を作っていくのです

 

2年先までスケジュール帳に空白がない

 

生かされている最後の瞬間まで、人は誰でも『人生の現役』なのですから

 

命とは君たちが持っている時間である

 

僕はいま人生において最も大切だと思うことを、次の世代の人に伝えていく活動を続けているんです。僕の話を聞いた若い人たちが何かを感じ取ってくれて、僕たちの頭を乗り越えて前進してくれたらいいなと

 

命はなぜ目に見えないか。それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。 どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うかしっかり考えながら生きていってほしい。さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい

 

十歳の子どもというのは、もう大人なんですよ。あらゆることをピーンと感じる感性を持っているんです

 

人間にとって最も大切なのは、命の長さだと思っている人は多い。しかし、私が出会った人を振り返ってみて、その人の命が素晴らしい命だと思える人においては、ごく少数の例外はあるにせよ、命の長さはあまり問題ではない

 

人間の夢見る幸福というのは、往々にして、貧乏するとか、仕事に失敗するとかあるいは病気にかかるということによって、一瞬にして不幸に変わってしまうような、儚いものである。病のなかにも心の幸福を得るためには、どうしたらよいかということを、考えなくてはならない

 

生きがいとは、自分を徹底的に大事にすることから始まる

 

私たちの身体は土でできており、身体は早晩、土に還る。私たちは、この土の器の中に、はかりしれない宝を入れることが出来る。私たちの寿命は、土の身体に何を容れるかを模索することで費やされる。器は器のためにあるのではなく、中に何ものかを容れるためにあるからである

 

鳥は飛び方を変えることは出来ない。動物は這い方、走り方を変えることは出来ない。しかし、人間は生き方を変えることが出来る

 

何事も、今ある規則のとおりにやっていたのでは進歩はない。規則を破るようなことをやらないと、現状はなかなか変わらない。規則を破ったとしても、皆が応援するような破り方をすればよい

 

これまでの教育は、出来あがったデータを記憶させる教育であった。困難な問題にぶつかったときに、問題解決が出来るような能力を与えられていない。本当に学ぶべきなのは、問題とどう取り組むか、どういう戦略を立てるべきかということ

 

自分のためにでなく、人のために生きようとするとき、その人は、もはや孤独ではない

 

なんと言っても、人が人に与える最高のものは、心である。他者のための「思い」と「行動」に費やした時間、人とともにどれだけの時間を分けあったかによって、真の人間としての証がなされる

 

自分の命がなくなるということは、自分の命を他の人の命の中に残していくことである。自分に与えられた命を、より大きな命の中に溶け込ませるために生きていくことこそ私たちが生きる究極の目的であり、永遠の命につながることだと思う

 

私たちに与えられた恵みを数えてみれば、どんな逆境にあったとしても、受けているものの方が、与えるものよりも多いことに気付く。受けた恵みを、どこかで返そうと考えたいものである

 

自分以外のことに自分の時間を提供するためには、周りの人間から孤立して、自分だけの世界に閉じこもっていてはいけない。人々とともに生きる世界に自分を置き、周囲がいま何を必要としているのか、自分には何ができるのかを絶えず考えながら、毎日の生活を送る必要がある

 

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