スカッとする話3選「泥棒と手引き屋の家族なんていらない」「夫の目には変わらずフサフサの自分が見えてたらしい」「私は気づいてしまった。旦那に無視されてる方が楽だ、ということに」

・泥棒と手引き屋の家族なんていらない
・夫の目には変わらずフサフサの自分が見えてたらしい
・私は気づいてしまった。旦那に無視されてる方が楽だ、ということに

以上、3つの話を紹介します。

スカッとする話3選

○泥棒と手引き屋の家族なんていらない

長いです。

近所のケチ子さん(何でも「チョーダイ!チョーダイ!」「いいなあ」「自分ばっかりズルい!」という奥さん)に餌付けしてた同居の祖母。

ただし自分の物はあげない。母の物を勝手にあげちゃう。私の物も2回ほどやられた。

「あら真美子さん(母)の物だと思って~ゴメンね~」って何だそれ。

今までに、母のバッグ、化粧水、ランコムのアイシャドウ、お数珠、万年筆、カシミアのマフラー、腕時計……

色々とやられてきた。もちろん施錠して自衛してるんだけど、父がエネで、祖母にせがまれると中に入れちゃう。

食べ物のたぐいは何度勝手にあげられたか数えきれない。

お取り寄せした宅配便を、母が仕事してる間に受けとった祖母が箱ごとあげてしまったり

時間をかけて作った筑前煮が、ちょっと目を離した隙に1/3になっていたりする。

母と私がキレても、祖母がちょっとメソメソするとエネ父が「お前らには年寄りを労わる気持ちがないのか!」と怒ってかばう。

こんな環境でも、ちょっとずつ温度を上げていくと気づかず茹だってしまうカエルのごとく、ずっとその中にいると麻痺してしまう。

イヤだイヤだと思いつつ、でも世の中にはもっと貧しくてつらい人がいるんだから自分の家庭の悩みなんか些細だと言い聞かせていた。

しかしある日、がんばって包み終わった餃子がきれいに消えてるのを見た瞬間、なんか全部どうでもよくなった。

なぜスイッチが餃子だったのかは母も私も今でも謎。

今までもっと高価な物とかやられてたのに、二人同時になぜか餃子でブチ切れた。

母が仕事で疲れていて「ビールと餃子♪ビールと餃子♪」って楽しみにしながら包んでるのを横で見てたからかもしれない。

二人で「もうダメだね?」「ダメダメ」と言い合って、父が帰ってくる前に荷物をまとめてビジホへ逃亡。

当時母は40代、私は中学生。ちょうど冬休みだった。

ビジホで一泊して、私を母方祖父母の家へ送って、母はとんぼ帰り。

私は母方祖父母の家でお正月を過ごし、ずっと会ってなかったイトコたちと会い、お年玉をもらいホクホク。

母は会社に事情を話して短期で社員寮(古いので不人気。いつも空きがある)に入れてもらった。

父から、母と祖父母に私が拉致られたかのような「無事か」「お父さんはお前の親権だけは守るからな」メールと、

「ふざけてないで帰ってこい」「あの女の血を引いてるだけあるな」罵倒メールが交互に届いた。

無視してたけど、うるさいから

「こっちのおじいちゃんおばあちゃんに会えてすごく幸せ。鍵かけなくても誰も物を盗んでいかないんだよ。おじさん(母の弟)はおばさんをすごく大事にしてるよ。おばあちゃんとおばさんは二人で誘いあって買い物に行くし、お互いの悪口を言ってるの見たことないよ。でもお父さんは幸福な家族がどういうものなのか一生わからないんだろうね。かわいそうだね。でも私までその「かわいそう」に巻き込まないで」

と送ったらメールがぱったり止んだ。

ちなみにこのメールは母・祖母・叔母の添削済み。父にダメージを与える言葉を女4人で厳選した。

冬休みが明けて、祖父母宅を出て私は母の住む寮へ。

ある日校門を出ようとしたら父がいるのが見えたからダッシュで戻って母へメール。

母の友人(マシンガントークで父が苦手な人。近所でピアノ塾をやってた)に迎えに来てもらい、二人で校門を出た。

けど父に呼び止められた。

「話したい」と言うので三人でファミレスへ。以下うろ覚えの会話
まず母の友人が20分マシンガントーク。

「仕事は休んだんですか」「義実家へは顔を出さなかったくせに、娘一人なら強く出れるんですね」

「あの女の血を引いてるだけあるな、ってメールを送った娘によくもまあ会いに来れるもんですね」

父、何度も目尻をぬぐう。

母友人「言いたいことがあるならどうぞ」

父、私に向かって「元気か」私「おばあちゃん家は楽しくて、2キロ太ったよ」(※当時の私はガリガリだった。今は…)

父「お父さんはお前のいない生活がこたえた。お前がいないと死んじゃいそうだ」

私「私はお父さんとおばあちゃんのいない生活でないと長生きできなさそうだよ」

父「お前の欲しがってた××を買ってあげるぞ」

私「(いつの話よそれ。小学3年の時に欲しがってた物しか覚えてないって時点で…)いらないから、おばあちゃんがケチ子さんにあげちゃった物返して」

父「無茶言うなよ」

私「お父さんの言ってる「おばあちゃんに我慢しろ」「戻ってこい」「文句いうな」の方が無茶だよ」

父、舌打ちして睨む

母友人「子供相手に舌打ちとか信じられない。正体出ましたね、この事は皆に言いますから」

母友人がピアノ塾をやってて近所に影響力大と知ってる父、慌てて止めるが、母友人と私は伝票持って店を出た。

父は祖母と二人きりの生活に4ヶ月耐えたが、ケチ子さんとケチ子さん息子が毎日来る環境&秘蔵のウイスキーが段々減っていくのに耐えられなくなったらしい。

祖母もあげられる物が父の物だけになって最初は我慢してたみたいなんだが、ヤルヤルの血が抑えられず…だった模様。

5ヶ月目にして初めて届く母へのロミオメール。

「手遅れでなかったら、僕をきみの家族に加えてくれないか」

「この美しい月をきみと見れないなんて、過去の僕はなんて馬鹿だったんだろう。大切な物を見失っていた」

母「私は今まであなたの家族ですらなかったんですね」

私「たとえお母さんが許しても私は無理。お父さんともおばあちゃんとも二度と暮らしたくないし、泥棒と手引き屋の家族なんていらない」

父の返信「後悔するぞ!」「泣きついてきたって遅いからな!」

しかし調停にするとゴネる。

離婚できた時、私は高校2年生になってました。

ケチ子さんが引っ越すと聞き、なんとなく総括チックに書き込んでみました。

思えばケチ子さんのせいで親が離婚したと言えるのに、不思議と彼女に対する恨みはあまりない。お付き合いしたくはないけど。

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○夫の目には変わらずフサフサの自分が見えてたらしい

現在妊娠中。

夫に「産後一ヶ月で体型戻らなかったら離婚なw 結婚当時と全然変わった詐欺でおまえ有責だからw」と言われた。

「じゃああなたの頭頂部のハゲ、あと一ヶ月で生えなかったら離婚ね。結婚当時と全然変わった詐欺であなた有責」と言うと、

「人をハゲ呼ばわりするのか!」とファビョって出て行った。

夜寝ている間に撮った頭頂部画像と、結婚当時のフサフサ画像を洗面台の鏡に貼っておいた。

朝になって画像と鏡に映った己の姿を見たらしい夫、真っ青になって朝ごはんもろくに食べず出社した。

脳内フィルターか何かで、今まで夫の目には変わらずフサフサの自分が見えてたらしい。

それからやたら機嫌をとってくるがヘーソーフーンで聞き流してる。

つわりピークの時期にも「なんで俺が家にいる時に吐くわけ?」「人に食費出させといて無駄にして…」等の発言ありで、妊娠してから人が変わったみたいに暴言が増えた夫に、愛情ゲージがすごい勢いで減りつつある。

仕事辞めなくてよかった。

○私は気づいてしまった。旦那に無視されてる方が楽だ、ということに

やり返したのとはちょっと違うんだけど。長いです。

実父がDV酒乱だったので、お酒飲まない、暴力しない、博打しない、安定した職についている、借金のない金銭感覚のしっかりした、長男だがけしてマザコンでない親孝行の旦那と結婚した。

しかしモラハラだったw

「そんなんじゃやっていけない」「お前の考えは社会じゃ通用しない」「本気で言ってんの?……はぁ(ため息)」「なってない、やり直し」「何もできないんだな」「みんなお前のこと笑ってるよ」

「陰で何言われてるか気づいてないの?」「ほんと(酒乱の)父親似だな」「レベルが低い」「くだらないことばっか…」「まともな話ができるようになるまで口を開くな」

会話はすべてこんな感じ。不機嫌になると黙る。私が彼の気に入る謝り方をするまで無視が何日でも続く。

3年もつづくと完全に洗脳状態で、自分が悪いんだと思い込んで奴隷状態だった。

何しろ旦那は「お酒飲まない、暴力しない、博打しない、安定した職についている、借金のない金銭感覚のしっかりした、長男だがけしてマザコンでない親孝行」の完璧な人だと信じきってたし。

悪い事は重なるもので、配置換えで来た上司が怒鳴り散らすヒス課長だった。

家庭でもストレス、職場でもストレスで、不眠と吹き出物でさらにストレス倍増。

ある日家でイライラと課長のヒス発言を思い出していたら、また旦那の無視が始まった。

いつもなら謝るところだけど、その日は課長で頭がいっぱいでそれどころじゃなかった。

旦那の無視は一週間続いた。

そして私は気づいてしまった。旦那に無視されてる方が楽だ、ということに。

無言で睨んでくるが、睨むだけで殴ってくるわけじゃないしとスルーした。

もともとDV父とエネME母のせいでスルーが得意だったのを忘れてた。

夫のモラハラ発言を聞かずに無視だけされてりゃ済む生活が快適で、食欲が戻った。

夜の方はお仕置きwでレスだったので、それも快適。

向こうから寝室を別にしてくれたのでぐっすり寝た。

寝て食べるようになったら課長のヒスも怖くなくなり、あしらえるようになった。

ヒスるだけで殴ってくるわけじゃないから父に比べりゃなんてことないんだよね。

なぜこのスルー精神を忘れていたのか。やっぱり病んでたんだなーと思いつつ、サクサク家事して仕事して図太く寝て食ってたら、旦那の態度が軟化した。

向こうからオドオド機嫌をとるように話しかけてきたから「忙しいからあとで聞くわ」と言ったら、びっくりした顔をしていた。

定番のケーキと花束ももらったw

課長は「アンタは可愛くないな~」と苦笑いしながらもこっちの要望に折れるようになり、適度に言い返したり、持ち上げたりしてたらお昼に誘ってくる程度の仲になった。

課内の空気もよくなった。

旦那は今は私が作ったごはんを文句言わず食べるし、ため息もつかない。

今でも不機嫌→無視はあるけど、一切相手にしないことにしたら、ほとぼりがさめたら向こうからしゃべってくるようになった。

先日旦那と子供を作るつもりはないこと、離婚を視野に入れてることを面と向かって宣言した。

また買ってきそうだったので先回りして「花もケーキもいらないよ」と言うと

「じゃあ何がいるの?」と旦那は叫んだ。

別に宝石もブランド物もいらんよ。私は対等に見てくれる男性と対等に結婚生活がしたかっただけだ。

そう言ったけど旦那には通じなかったようで、なぜか花瓶を買ってきたw

今はそこそこ快適だけど、やっぱり離婚します。

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