衝撃的な話6選「やはり幼い頃に手を付けておくのが一番なのか」「未だに生まれてきて一番の修羅場だったと思う話」「カタログギフトが届いて泣いた女」など


・炭水化物まみれの食事
・完食指導の理由
・3年上の先輩
・未だに生まれてきて一番の修羅場だったと思う話
・カタログギフトが届いて泣いた女

以上、6つの話を紹介します。

衝撃的な話6選

○やはり幼い頃に手を付けておくのが一番なのか

今日幼馴染と久し振りにランチして聞いた話。私の地元には同世代に某アイドルの養成所に所属してた子がいる(男子)。

見た目も「綺麗」という言葉がピッタリの少し天然気味の巻き髪で身長も180cm近くあり、温厚で大人しい、本当に少女漫画に出て来るような人だった。

仮にAとするけど、私と幼馴染の近くで同年代だった(1つ上)ので、色んな行事も一緒に参加したり、近所の集まりにも一緒に出たりした。

Aには3才上の姉がおり、その姉がAの守護霊の様に常にそばにいて、私達との行事にも着いて来ては、Aに話しかける女子をことごとく避けさせ、常にAを監視するような感じだった。

Aの母親もAを溺愛してて、Aが某芸能事務所に参加したのもA母(美形・でもA姉は普通程度だった)の知人で、A母知人はAの容姿を大層気に入ってて、たまたま知人にその方面に強い人がいて紹介し、後はとんとん拍子で中1の時に芸能人の卵になった。

それから数年間、Aは関東の某芸能事務所に所属し、レッスンや色々な用事が出来、私も幼馴染も極たまに帰省するAと会う程度(年に1~2度)。

私と幼馴染が大学卒業時にAは某芸能事務所を退所し、一般人的な立場になってたが、色んな番組にも出演しCD等にも参加してたので、完全に普通の生活は難しかったらしく、外国に行ったり違う地方に行ったりしてた。

そんな事があったのももう結構前の今、幼馴染からAがA姉と結婚したと聞いた。私はびっくりしたが、どうやらA姉は親戚の子だったとか。

成人後にA姉A両親から聞き、養子縁組もして無かったので元から他人だった(A父弟の娘とか?そんな距離)と分かり、Aに迫ったらしい。

AもA姉の執拗な保護に幾らか不満もあったようだが、昔から姉弟関係は良好だったのと、Aは結構なシスコンだったらしく、A両親も特に反対せずとか。

アラフォーの今だと特に感情も無いけど、私と幼馴染の初恋の相手はAで、そのAと私達が合うのを邪魔してたゴブリンのようなA姉がAの妻とか・・・

そして地元からは遠く離れた某地域で、Aは新婚生活を送ってるとかで、AがSNSで妻(元A姉)と子供との写真を上げてるのを幼馴染が見つけ、私に教えてくれた。

しかし、けれど、どういうのか、まさかまっさか何時もこういう手の話をまとめサイト等で読むだけだった私にも、こんな有り得ない話があると知って今は興奮が冷めない。

あのAが、マジ鬼のようだったA姉と夫婦とか!やはり幼い頃に手を付けておくのが一番なのかと思いました。

ちなみにAの初恋は幼馴染だったと知ってるのは私だけw 幼馴染はAへの片思いだったと思ってるけど、その話を子供の頃にAに相談された私は救いが無い。

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○炭水化物まみれの食事

普通の人間に見えていた友人が衝撃だった。

半年くらい前に家での夕食について友人同士でワイワイしゃべってるときに「旦那はすごく食べるから、普通のご飯のほかにそーめんや焼きそば、それでも足りないっていうから他にも作って大変なの」って言ってた。

それは大変だねーって言って、旦那さんの体調をきくと「健康!健康!痩せの大食い!」て返ってきてそんなもんかと思っていた。

先日、また会ったら義母が糖尿なので体調が悪くて介護がいるかもとのこと。そして「遺伝なのかなー旦那もなっちゃったんだよね、ずっと健康診断であぶないって言われてたけどついに!」って。

じゃ わかっていて炭水化物まみれの食事をさせていたのかとゾッとした。

○完食指導の理由

小学生の頃、同級生に食が細い女の子がいた。

担任が食事を残すことを許さない人で、毎日その子だけ強制的に給食を完食させられた。

こういう「完食指導」はよくある話だけど、不思議なのは、ほかにも給食を残す子は居たのに、先生は執拗にその子だけを監視し責め続けた。

毎日、涙を流しながらパンを飲み込み、嗚咽し、時には吐き戻している同級生に「おら、何やってんだ!」と罵倒し、休み時間が終わっても、時には掃除が始まっても、全部食べ切るまで延々と責め続けた。

あんまりかわいそうなので、同級生が先生の目を盗んで代わりに食べてあげたり、こっそり捨ててあげたりしたが、それが見つかると手伝った子も厳しく罰せられた。

子供心に地獄のような日々が続いたけど、夏休み前あたりに先生は急に大人しくなり、夏休み開けたらなぜか居なくなってた。

替わりに来た女の先生は優しくて、皆落ち着き、私もそれっきり忘れていた。

でも大人になった頃気づいた、あれは教師の性癖だったんだと。

ターゲットにされた同級生は儚げな美少女で、その美少女が苦しんでいる顔を、先生は食い入るように見ていた。

時々先生がフーハーフーハー変な息遣いになるなぁと思ってたんだけど、それが性的に興奮したときの息遣いだと思春期になって理解し、そういうことだったのかと、今更ながらゾッとした。

そういえば、同級生の手伝いがバレた時もそれが男子の時は軽く叱るだけで、女子の場合は泣くまで叱り、教室の後ろにずっと立たせた。

立たされた女の子がトイレに行きたいと訴えても絶対に許さず、とうとうお漏らししてしまったのだけど、その時も嬉しそうな顔で変な息遣いしてたな、と。

恐ろしいことにいまだに「完食指導」をやってる学校があるらしいが、あまりに理不尽な指導を押し付けてくる教師は、変態なのかもしれない。

そういう危機感を持つ事も必要ではなかろうか。

○3年上の先輩

うちの会社は、新人に3年目か4年目の社員が付いて一対一で仕事を教える「対番」って制度がある。

私の対の先輩は、3年上の綺麗で明るい女性社員だった。

対番は通常半年~1年続くんだけど、私の場合は急な産休に入った社員の穴埋めで部署移動があって一年と少し対番して貰った。

本当の姉妹みたいに可愛がってもらって、大好きだった。対番が終わっても仲良くしてもらってた。

大きなプロジェクトが終わって半月くらい経ち、会社の空気が比較的のんびりまったりしていたある日、先輩が「ちょっと外の空気吸ってきますね~」って、フロアを出て行った。

数分後、内線がかかって来て、電話を取った社員が動揺して大声をあげた。

主任が電話を代わって、やっぱり大声をあげた。

切れ切れに聞こえてくる単語に中に、先輩の名前があった。

まだ電話がつながってる間に、サイレンが聞こえた。

休憩室にベランダがあるんだけど、そこにいた目撃者の話ではいつも通りの顔と足取りでベランダに出て、うーんて背伸びして明るい顔で空を見上げたあと、ひょいって飛び降りたらしい。

彼氏とは順調で、大きな仕事を成功させた功労者として表彰されたばかりで人間関係も私が知る限り、問題なかった。

お葬式では泣いて泣いて声も出ないくらいだった。

先輩のお母さんからも「妹みたいに思っている子がいる可愛いの」ってあなたの事聞いてたのよ、仲良くしてくれてありがとうって言われて、形見分けに何か貰ってやって、って言われた。

先輩のお気に入りだった髪留めを貰おうと思って了承を取った。仕事のお守りにしようって思ってた。

お母さんから「ドレッサーか机の引き出しに入ってると思うから、もっていって、私はこの部屋に入るのが辛くて」って言われて立ち去った。

ドレッサーには無かったので、机の一番大きな引き出しを開けた。そこに無かったので、サイドの小さい引き出しを開けたら私の写真が入ってた。

顔が滅茶苦茶に傷つけられてた。写真は何枚もあった私からの誕生日カードもあった。ペンで「タヒね」って書かれてた。見慣れた先輩の字だった。

頭が真っ白になって写真とカードをかばんに入れた。

お母さんには「机にもドレッサーにも髪留めはありませんでした」って伝えてお暇した。

その後、先輩のかばんの中から髪留めが見つかったって電話を貰って受け取った。

でも髪留めは一度も付けてない。

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○未だに生まれてきて一番の修羅場だったと思う話

大学時代、彼氏の家で遊んでいて急に友人と会うことになり、彼が車を貸してくれるというので借りて会いに行った。

話も尽きず、うっかり友人の終電がなくなってしまったので友人の家まで車で送っていった。

そこから1時間くらいの距離にあるはずの彼氏の家に向かうべく、走ったことがない真っ暗な道をよく道がわからないまま車を進ませた。

途中、○日~○日まで工事のため云々という看板を見かけた。

そのまま走らせていたところ急に道が狭くなり未舗装の道に迷い込んだ。

看板を思い出して、ああ、これのことかなと勝手に思ってそのまま走らせていたら行き止りになった。

一本道で回りは雑木林っぽくてUターンもできない。

ふとそこにヘッドライトをつけて車が入ってきた。

「あーあ、この人私が道を知らないとは思わずに、後ろを走ってきちゃったんだな」と思って車から降りて行き止まりですよーと教えようとしたら、

ズボンのベルトをはずしチャックを降ろしながら車から出てきた。

キャーと叫んで、もう本当に怖くて急いで車に戻り、運転席と助手席の鍵をかけた。

が、車はジムニーで、荷台の鍵は外からしか閉まらない仕様で、鍵は開けっ放しだったことに気がついたのがまず修羅場。

ズボンを脱いでやってきた男は運転席の外からドアをガチャガチャしながら私を無表情で見てる。

本気で、ヤられる!!その後コロされるかもしれない!荷台に回られたら私はおしまいだ・・・・と思い、いやあああああああああと泣き叫んだ。

そして錯乱している私は携帯電話を取り出して110番した。

電話をかけながらなんとか脱出を試みて、車をバックに入れて発進させた。

が、当然車は男の車にぶつかって動かなかった。

脱出できない!!車ぶつけた!!

そこに110番がつながり、警察官がどうしました?と聞いたので、錯乱状態の私は、

「車をぶつけたああああああ!!!きゃああああこわいいいいいいい!!!!ころされるううううううううううああああああたすけてえええええええわあああああああ」と泣き叫んでた。

警察官は冷静に、そこの住所はどこですか?と聞くのだが、私は

「ここはどこおおおおおおおええええーーーーんわからないいいいいいぎゃああああああこわいいいいいいいい」と叫んでいるだけだった。

と、急に男はぶつけられた車が気になったらしく車に戻っていった。

そしてそのまま車に戻り去っていった。

助かった・・・と放心状態の私は「もういいです」と電話を切ってガクガク震える手と足でなんとか車を運転し彼氏の家までたどり着いた。

そこで一部始終彼氏に話をしたら「へー」と言われただけだった。

翌朝、激怒した彼氏に叩き起こされた。

「おい!車どうしてくれるんだ!!!」

確かに車はぶつけたけどそんなに激しくはなかったし、もともと15年落ちで何度もぶつけていて修理もしていないし、窓ももう開かないような古い車だったので、怒っていることに驚いていたら、

「窓にぶっ掛けられてるだろーが!!きたねーな!!お前、すぐに洗車しろよ!」と怒鳴られた。

これが第二の修羅場。

謝って洗車場に持っていったけど、少しの心配もなく激怒されたのにショックだったし、洗いながら昨日の恐怖も思い出し泣きながら一人で洗った。

その夜、彼氏と共通の友人たちとの集まりがあったので、少し話してみたら、俺の家近かったから電話くれたら送っていったのに、とか

でも、無事で本当によかった。とみんないってくれて、友人に「よかったな、彼女に何もなくて」と聞かれ、彼氏は自分の対応を思い返したらしく、「あ、ああ」とバツが悪そうにしていた。

このことは未だに生まれてきて一番の修羅場だったと思う。コロされるって思って本気で恐怖だったよ。

○カタログギフトが届いて泣いた女

4歳の時両親離婚、後に知ったが原因は母親の不倫。

小1で母親が不倫相手と再婚、翌年妹誕生。

再婚相手(以下養父)からの暴言や嫌がらせ始まる。

妹に触らせてもらえなかったり、食事以外はリビングにいるの禁止されてた。

逆に養父が仕事でいない時は母親から家事と妹の面倒を押し付けられる、母は夜な夜な飲み歩く。

妹は可愛かったからそれはまぁ良かった。

養父はだんだん酒を飲むと私や母に暴力を振るうようになり、私の高校進学と同時に母は妹だけ連れて出て行った。

養父の捌け口は私だけに向き、日々暴力や部屋を荒らされたり私物を捨てられたりした、他人なんだから当たり前かw

高2の時養父に襲われた。実際は未遂だけど。

家を出て高校中退した。

母とも連絡取らず、妹は携帯持たされてたから妹とはたまに隠れて会ってた。

家を出た後は彼氏のアパートに転がり込んでバイト掛け持ちした 。

その彼と18歳の時結婚、19歳で長男出産したが彼が束縛DV夫に変貌した挙句働かなくなり、生活に困って義実家で同居開始。

義実家で義両親、義祖母、義弟妹8人暮らし。

全員分の洗濯、炊事、掃除全て1人でこなした。

ド田舎の本家らしく、盆正月は30人分の料理もほぼ1人で作る。もちろん義母、義祖母のイビリ付きw私の分のご飯がないとか当たり前だった。

DV夫変わらず働きもせず酒飲んでは暴れ、殴る蹴る引きずるは日常茶飯事、首絞める包丁持ち出すなどして、行為拒否ると無理矢理で2人目懐妊
義両親に相談するも容認。

正月準備とDVで29週で切迫早産になり緊急入院。

病院は天国!!

入院中助産師さんが全身の痣を不審に思ったのか色々話を聞いてくれ、DVセンターへ橋渡ししてくれて、出産後半年を目安に逃亡計画をたてる。

義実家では私が入院中に義祖母があたって半身不随になってたらしく、出産し退院後すぐに次男の世話と義祖母の介護と全ての家事をこなした。

正直この辺あまり記憶にないけど、急に涙が出てきたりしてたから鬱だったのかもw

退院後1週間で妊娠前の体重に戻り、1ヵ月検診で妊娠前から-5キロw

産後半年で計画通り子供2人連れて逃亡した。

朝に全員家出たのを見計らって義祖母放置で遠方のシェルターに入った。

そこからも色々あったが2年後に裁判離婚成立して親子3人慎ましやかだけど幸せに暮らした。

コロナ騒ぎでどうなるかと思ったけど今年長男が無事就職し、GWには帰って来れなかったが、初任給で私と次男にカタログギフトが届いて泣いた。

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