毒家族の話4選「叔母(超見栄っ張り)が毒親すぎるんですけど」「毒夫、毒義父、義母を捨てる予定です」「親ガチャ失敗のこれ以上の例は見たことがない」など

・叔母(超見栄っ張り)が毒親すぎるんですけど
・毒ばーさんの話
・毒夫、毒義父、義母を捨てる予定です
・親ガチャ失敗のこれ以上の例は見たことがない

以上、4つの話を紹介します。

毒家族の話4選

○叔母(超見栄っ張り)が毒親すぎるんですけど

復讐はしてないんですが…

叔母(母の弟の妻)が、わかりやすく夫の年収や子供の成績でマウント取ってくる人。

うちは母子家庭で、その時点でもう叔母には見下し&嘲笑対象。

母は専門職で普通のリーマン並みに稼いでたし、父も養育費ちゃんと払ってたから困窮した母子家庭でわけではなかったんだけど、2代目社長の奥様である叔母から見れば、ボッシーの子なんかロクなもんにならないわw

ってことで、5歳下の従兄弟と比較され、自慢されてた。

曰く、うちの子は〇〇式教育で有名な送迎つきのお高い幼稚園なのー

個人レッスン頼んでるピアノの先生はテレビに出る有名な人よー

ただ、勉強は私の方が得意でした。

従兄弟は良い子なんだけど、勉強へのやる気ゼロ。

しかし私がそこそこ良い大学に入っちゃったせいで、叔母はうちの子だったら東大入れるはず!と思い込み、(実際親戚中にうちは東大!と触れ回ってた)従兄弟の尻を叩きまくった。

おかげで従兄弟はそこそこの進学校に入ったんだけど、勉強についていけず中学の途中から不登校になってしまった。

でも頑張って大検を取ってFランではあるけど大学に受かった

ところが叔母が早慶以上でなければ意味がないといって入学せずに二浪させ
結局早慶には入れずに現在ニート。

一方の私は現在子育てしつつ働いてるんだけど、叔母が嫌味言ってくる。

小さい子には母親がついてないとまともに育たないだの、保育園は環境が悪いでしょ?かわいそうねーだの、

いやぁ、母親がべったりついてて名門幼稚園に通っててニートになった例もありますからねー、としか言えないね(言ってないけど)。

正直もうざまぁwとも思わず、哀れとしか。叔母がね。

従兄弟は嫌いじゃないし、見栄っ張りな母親の犠牲になって可哀想と思うんだけど。

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○毒ばーさんの話

本家の長男教+嫁いびり+孫差別+見栄っ張りで無駄金ばかり使うばーさんが死んで初の正月だった。

快適すぎた。

孫差別されるので「ばーさんが死んだら行く」と宣言していた従兄弟たちが、おかげで一堂に会した。

従兄弟の娘や息子とも会えて、和気あいあいとした楽しいお正月でした。

もちろん説教なし、嫁いびりのための変な行事なし、お酌なし。

男も女も酒飲んで食って、おせちなんか作らず持ち寄りの寿司やピザ食って、子供は子供同士でゲームして、大人もたまにゲームに混ざって、途中で「カラオケいきてー」っていう一団がいたから、そいつらだけ抜けてカラオケ行ったりして、タガのはずれた楽しさだった。

変な話、正月を目いっぱい楽しむことでみんなでばーさんに復讐してる気分だった。

ほんとに抑圧されてきたし差別されてたからね。

一番ばーさんに嫌われてた従妹(気に食わない娘の子+女のくせに跡取り孫より優秀+気が強い+言いなりにならない+留学した)が、

ばーさんに溺愛されてた跡取り孫の従兄に、

「今、銃の話なんかしてないでしょ?それに私は日本人の男性は好き。嫌いなのは(跡取り孫)ちゃんだけ!!」

とピシャっと言って、従兄が黙ったのが一番スカっとした。

従姉妹同士で固まって、従妹が今いる国で「ハリウッド俳優に会った」という話をしてたら、

従兄が「でもあの国は銃社会で性犯罪が多い。日本は治安がよく女子供でも夜道を歩けるのにウンタラカンタラ外国かぶれはこれだから。外国かぶれの女は白人に股を開きたがって日本男児を見下して嫌う馬鹿ウンタラカンタラ」と絡み出し、

「銃の話なんかしてないし、私が嫌いなのは(跡取り孫)ちゃんだけ!!」

と言い返されたという自業自得な流れ。

いつもだったらここでばーさんが従兄をかばって怒鳴り、伯父(従兄の父)ばーさんと一緒になって従妹をグーで殴っていただろうが、ばーさんは墓の下、伯父は入院中。

入院してなくても、ばーさんが死んでから伯父はすげーおとなしい人になっちゃったんだけどね。

ちなみに従兄の母親は激烈な嫁いびりの末、鬱を発症し離婚されて実家に帰された人なんだが、叔母から「再婚したみたいよ」と情報がもたらされて、みんなで「そりゃめでたい!!」と乾杯した。

再婚は数年前だが、ばーさんが死ぬまで黙ってたんだってさ。

いい正月でした。

○毒夫、毒義父、義母を捨てる予定です

元の家族構成

私、夫、息子(17歳)、娘(15歳)、姑、舅

姑と舅は要介護の認定を受けてたんだけど、夫も夫の兄弟姉妹も誰も介護を手伝わず、その上年のせいか認知症までは行かないけど、二人共前頭葉が弱り、舅はそれに加え側頭葉も弱り、二人共2歳児並みにワガママで、虚言ばかり吐き、更に不潔だった。

デイを利用すれば「ワシらをデイなんかに行かせて介護を放棄する鬼嫁」と罵り、デイの利用をやめれば「デイさえ行かせてくれない鬼嫁」と罵った。

デイでは嫁から暴力を振るわれる、薬を取り上げられる、何も食わせてもらえない、風呂も入れてもらえない、等私の悪口三昧。

もちろん体に傷はおろか、どれだけ止めてもお菓子をお腹いっぱいになるまで食べるからむしろ血糖値が高く、介護や医療のプロから見れば一発で嘘だとわかるんだけど、

そうではない姑や舅と長年の付き合いのあるご近所たちは二人の言い分を信じ、私はもう何年も周りから嫌がらせを受けていた。

息子も娘もそれを見続けており、反抗期に私がいない間に夫に訴えたこともあっけど、夫からボコボコにされてしまった。

本気で離婚を考えたけど、二人の親権を考えると、その時の私は耐えるしかなかった。

一昨年あたりから舅のボケ方がひどくなり、自分の名前も住所も生年月日も書けず、姑や夫の名前も言えなくなり、(でも自分の欲求や不満だけは口達者に言える上、外だとボケが引っ込んでシャキッとする)

さらに姑も舅も成長して私に似てきた娘に私と同じ扱いをするようになり、今年、ついに舅が娘に手を上げ、骨折させた。

役所にはこれまでずっと相談していたけど、まともに取り合ってもらえずにいたが、中学生の娘に手を挙げられたとなっては役所も動かざるを得なかった。

姑と舅をまとめて今年2月、老健にぶちこんだ。

老健は洗濯物が出ると自分で洗濯しなきゃならない。

姑も舅も「自分のことは自分でできる、嫁は何もしないグータラだ」と言ってたくせに自分の洗濯物を洗うことができなかった。

洗濯物が貯まるので施設の人に呼び出されて行くと、姑も舅も私には「ここの洗濯機は壊れとる!こんなところにいつまでワシらを押し込めるつもりだ!」と怒鳴っていた。

施設の人に「洗濯機が壊れて使えないそうですよ」と伝えておいた。

施設の人によると、二人共洗濯機の使い方さえわからなくなってたそうだ。

さらに別の日に洗濯物を取りに行ったら、

「テレビが壊れて何も見られん」「同室のやつが夜中に暴れて眠れん」「飯がまともな量が出ん」「周りと違うゴミのようなものを食わせられる(単にとろみ食、刻み食なだけ)」

と嘘をつきまくり、「いつ自宅に帰れるのか」と何度も何度も聞いてきた。

全部施設の人に伝えておいた。

施設の人が「おじいさんもおばあさんも、お孫さんに会いたがってますよ」と言ってきたことがあった。

私が「息子も娘も二人のこと嫌ってますから」と伝えたんだけど、二人は外面が良いので、施設の人は、

「そんな、二人共お孫さんはよくなついて可愛らしいって言ってましたよ。赤ちゃんの頃は、お風呂にもいれて、オムツもかえて、ミルクもあげて、お世話は全部二人がしたんだってよく話してます(虚言)」

とやたらと引かなかった。

それを自宅で愚痴ってたら、息子と娘が会いに行った。

姑も舅も、施設の酷さを訴えたあと、「家が恋しい、早く家に帰りたいのに嫁が聞いてくれない」と訴えかけた。

息子も娘も、

「散々家の悪口や母さんの悪口言っといて帰れると思ってるの?笑えるんだけど」

と冷たい口調で投げかけた。

「母さんは二人に手をあげるんでしょ?薬とりあげるんでしょ?風呂さえ入れてくれないんでしょ?食べさせてももらえないんでしょ?そんな人がいるところに帰りたいの?そんなわけないよね?自分たちで言ってたじゃん、鬼嫁がいるから家が辛いって。そんな家にあんたたちの居場所があるわけないでしょ?帰る場所なんてね、とっくにないの」

二人にそう言われて、姑も舅も表情が固まった。

「家も嫌、老健も嫌、それなら好きなところに出ていけばいいじゃん?誰も止めないよ。自力で生活できるんでしょ?母さんが家事しないから全部やってやってるって言ってたじゃん。自分じゃ何もせずに衣食住揃ってることが不満なら、勝手に家借りて好きなとこに行きなよ、誰もとめないから」

そう言い捨てて息子も娘も老健をあとにした。

私も何か言われる前にそそくさと立ち去った。

その出来事の直後からコロナで面会謝絶になり、姑や舅と一度も顔を合わせてない。

娘は夫に向かい、

「孫たちには家に帰りたいって泣きつくのに、父さんには何も言わないんだね。むしろ二人の話に父さんの話って、一度たりとも出てきたことないの。実の親から忘れられた気分、どんな感じ?」

と皮肉を飛ばし、怒鳴りつける夫を息子が鼻で笑った。

夫は私に「お前の子育てが悪いんだ」と怒鳴りつけてきたけど、

おかしいな?ずっと姑の嘘を信じて「お前、母さんに子どもたちの世話させてお前はなにもしてないそうじゃないか!」って罵ってきたのに。

夫は知らないけど、私達三人は家を出ていき、この家と土地は処分する。子どもたちも、私も、その機会を虎視眈々と狙って耐え抜いてきた。コロナで若干予定は狂ったけど、夫が家から長時間いなくなるタイミングで引き上げる。

夫は家族に関心がないから、子どもたちの部屋にもう殆ど荷物が残ってないことにも気づいてないんだろうな。

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○親ガチャ失敗のこれ以上の例は見たことがない

人権屋に叩かれそうな話だけど。

うちの近所に、知的○害を持った女性がいた。

ニコニコしてほとんど会話をしないから、親がお世話して可愛らしいお洋服を着せたら、見た目だけはお育ちの良さそうなお嬢さんだった。

親は結婚させるつもりはなかったみたいだけど、女性が二十歳になった頃、50手前くらいのそこそこ金持ちの男性が妻に欲しいと言い、子供を作らないことを前提として嫁に出したらしい。

子供を禁じたのは、女性の両親は60手前、結婚相手の男性も50手前、女性の障害は遺伝するし、子供が産まれても責任が取れないという真っ当な理由だった。

この話はご近所では結構有名な話だった。

それなのに、男性はその約束を破って子供を作った。それも3人も。

一人目は知的障害グレーゾーンだった。一番可愛そうなタイプ。

私はこの子と同級生だったんだけど、本人がいくら努力しても地頭のせいで成績は常に下の下だった。

二人目は娘さんにそっくりな軽度の知的○害者だった。常にニコニコしているんだけど、知能が低いからか頻繁に怪我を繰り返してた。

母親が治療と称してすぐ包帯を巻くんだけど、アニメかってくらいぐるぐる巻になってて、例えば突き指で巻いた包帯がアメリカンドッグ並になってた。

可愛そうで、私ができる範囲で巻き直したり、保健室に連れて行ったりしていた。

一人目の話では二人目は特殊学級を何度も進められてたらしいけど、ずっと普通学級のままだった。

3人目は重度の○害者で、話すこともできない子だった。知能が2歳児あたりで止まってるらしかった。

不幸だったのは親がこんなだったから、一人目も二人目も福祉の助けをほぼ得られず、三人目に至っては唯一の女の子だったから定年した父親がかわいがって、むしろ知能が低いことをいいことに第二のお人形さん扱いしたこと。

異常な家庭環境に一人目は常に苦しんでたし、それに不幸なことに一人目は自分が知的○害グレーゾーンだって自覚してたから、どれだけ努力しても報われないことから、小学生の頃には人生に絶望していた。

それにこの頃、唯一常識のあった祖父母が亡くなったのもキツかったと思う。

今思い返しても私の身近で「親ガチャ失敗」のこれ以上の例は見たことがない。

私は高校進学と同時に引っ越したからその後の彼らのことは分からないけれど、高校受験を前に一人目は酷く荒れて不登校になってた。

私が比較的仲が良かったことから学校の先生に呼び出されて話を聞かれたけど、何も答えることはできなかった。

彼の家にプリントを届けに行っても母親はニコニコしてるだけで子供の心配なんかしてないし、できるような知能もなかった。

父親はその頃もう60代後半で体力も衰え、人形扱いしてたほぼ寝たきりの三人目が大きくなり、世話を持て余すようになり、部屋の中もぐちゃぐちゃ。

一人目がこんな家に帰りたくなくなるのも仕方ないという有様だった。

それからもう10年以上たってて、父親はもしかしたら亡くなってるかもしれない。

一人目はもしかしたら自力で働いてるかもしれないけど、残された人たちがどうやって生きていくのか。

最近親ガチャって言葉を見るたびに彼らを思い出してモヤモヤする。

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