普通に生きることのデメリット4選!「普通は正義!」と思い込む日本人!孤独になりたくないから普通を選ぶ!

日本社会には普通に生きることを強く推奨している人がたくさんいます。普通に進学して、普通に就職して、普通に働いて、普通に結婚して、普通に子供を産んで、普通に子育てをして、普通に定年退職して、普通に人生を終える。そういう普通を推奨している人がたくさんいます。

確かに普通に生きることは良い生き方だと思います。

でも、本当に普通に生きることは良いことばかりなのでしょうか?

答えはNOです。良いことばかりではありません。悪いこともたくさんあります。

というわけで今回は普通に生きることのデメリットについて話していきたいと思います。

普通に生きることのデメリット

○普通は良いことだと思い込んでいる

「普通」・・・「広く一般的であること、多くにあてはまること」と広辞苑には書かれています。

「普通」・・・「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それが当たり前であること。また、そのさま」とデジタル大辞泉には書かれています。

つまり、普通とは、「どこにでもあるようなもの」「どこにでもあるような一般的なもの」「石ころのようにどこにでもあるようなもの」「どこにでもあるようなありきたりの常識」「どこにでもあるようなありふれた価値観」という意味の言葉ってことですね。

つまり、普通に生きるとは、「どこにでもあるような価値観に従って生きること」が普通に生きるってことですね。「どこにでもあるような常識に従って生きること」が普通に生きるってことですね。

それ以外の生き方は普通の生き方じゃないってことですね。YouTuberとして生きるのは普通じゃないってことですね。プロゲーマーはとして生きるのは普通の生き方じゃないってことですね。

なんか普通じゃない生き方って表現には、差別的な意味が含まれているように感じますね。「イカれている」「間違っている」「変人」「非常識」「バカじゃないの」という差別的な意味が含まれているように感じます。

実際、今の日本社会では、普通じゃない生き方をしている人をそんな差別的な意味を含んだ見方をしている人が多いですよね。「YouTuberなんて非常識」「企業するなんて無謀!バカじゃないの」「芸能人を目指すなんて身の程知らず」という差別的な意味を含んだ見方をしている人がマジで多いんですよね。

つまり、日本では普通に生きることを強く推奨する人が多いということですよね。悪く言えば、同調圧力が強い・少数派を認めない偏狭な人が多いということですね。

なぜ、そんな同調圧力が強い、少数派を認めない偏狭な人が多いんでしょうか?

それは、普通は良いことだと思い込んでいる人が多いからです。学校教育によって「普通は良いこと!」と子供の頃から叩き込まれた人が多いんです。そのせいで日本には普通は良いことだと思い込んでいる人が多いんです。普通を押し付けようする人も多いんです。

確かに普通に生きることは悪いことではありません。普通の生き方をしている人がいるからこそ、社会が成り立っている部分もあります。ですが過剰なまでに普通を押し付けるのは間違っています。物事には限度というものがあるんです。今の日本の普通の押しつけ度合いはどう考えても限度を超えています。普通の押し売りと言ってもいいレベルです。そんな押し売りは今すぐやめるべきです。

でも、今の日本人には「普通に生きることは良いこと!」「普通は正義!普通じゃないは悪!」だと思い込んでいる人が無数にいるため、普通の押し売りをやめるのは不可能でしょう。これからも普通の押し売りをする人達による「普通じゃない生き方をしている人を排除して、普通を押し付け、世界を普通色に染めよう運動」は続いていくでしょう。

当然、そんな魔女狩りみたいに普通じゃない人を攻撃する人がいる世界で、普通じゃない生き方をするのは困難だし、リスキーです。そのため、これからも普通に生きる人が増えていくでしょう。

「メイド服を着たいけど、普通じゃないから着るのはやめよう」「ギタリストになりたいけど、普通じゃないから諦めよう」「カリスマ美容師になりたいけど、普通じゃないから諦めよう」「ゲームクリエイターになりたいって言ったけど、親に反対されたから諦めよう」という感じで普通じゃない生き方を諦めて、普通に生きる道を選ぶ人が増えていくでしょう。

そして普通に生きる道を選ぶ人が増えれば増えるほどに、鬱病などの精神疾患に悩まされる人も増えていくでしょう。

>>>鬱病などの精神疾患に悩まされる人も増えるのか?<<<

普通じゃない生き方を諦めて、普通の生き方を選ぶということは、我慢して生きるということだからです。

普通じゃない生き方をしたいという気持ちを我慢し、普通の生き方を我慢して続けていく。普通じゃない生き方をすることを諦めるということは、そんな2重の我慢をし続けながら生きていくということなんです。だから鬱病などの精神疾患になりやすいんです。常に2重の我慢をしながら生きていかなければならないから精神疾患になりやすいんです。

さらに普通じゃない生き方を諦めたという事実は後悔となって心の中に残りつづけます。当然、その後悔もストレスになり、精神疾患の原因になります。特に「他人の意見に従って普通じゃない生き方を諦めた人」や「他人にバカにされるのが嫌で普通じゃない生き方を諦めた人」の後悔は強くなりやすいので、そういう人はより精神疾患になりやすくなります。

もちろん、普通に生きて幸せになれたのなら、後悔に襲われずにすむでしょう。でも幸せになれなかったとしたら、間違えなく後悔に苛まれます。「あのとき普通じゃない生き方をしていればよかった」と後悔に苛まれます。

そんな後悔に苛まれたくないなら、普通じゃない生き方を選択するしかありません。そうすれば少なくとも「普通じゃない生き方をすればよかった」なんて後悔をせずにすみます。

そんな後悔をする生き方とそんな後悔をしない生き方、どちらのほうが魅力的だと思いますか?「自分のやりたくないこと・普通のことをやって後悔する生き方」と「自分のやりたいこと・普通じゃないけど自分のやりたいことをやって後悔しない生き方、どちらのほうが魅力的だと思いますか?

私は「そんな後悔をしない生き方」「自分のやりたいこと・普通じゃないけど自分のやりたいことをやって後悔しない生き方」のほうが魅力的だと思います。

というわけで、「普通じゃない生き方をすればよかった」という後悔をしたくない人は、普通じゃない生き方を選択してくださいね。

もちろん、普通じゃない生き方をしても後悔することはあります。「ミュージシャンなんて目指すんじゃなかった」という感じで後悔することもあります。

でも、私は、普通に生きて後悔するよりも普通じゃない生き方をして後悔したほうがマシだと思います。一度切りしかない人生を「好きでもない普通の生き方をして後悔する」よりは「普通じゃないけど好きなことして後悔する」ほうがマシだと思いませんか?好きでもない普通の生き方をして後悔するほうが惨めだと思いませんか?一生後悔すると思いませんか?

そう思った方は、普通じゃないけど、好きなことして生きたほうがいいと思います。

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○孤独になりたくないから自分を隠して普通を選ぶ

孤独って嫌ですよね。「学校でクラス全員に無視されて一人さびしく昼飯を食べる、修学旅行で誰も話しかけてくれない、運動会で誰も応援してくれない、帰宅時誰にもさよならと言われない、誰も一緒に帰ってくれない」「職場で社員全員に無視されて一人さびしく昼飯を食べる、仕事中だれも話しかけてくれない、仕事がんばっても誰も褒めてくれない」ホント孤独って嫌ですよね。

人がなぜ普通に生きようとするかというと、孤独を恐れているからです。仲間外れにされて孤独になることを恐れているから普通に生きようとするんです。

普通の生き方を推奨する人が多い世の中では、普通じゃない生き方をすれば仲間外れにされる可能性が高くなります。「あの人は普通じゃない生き方してる人だから関わらないほうがいいわ」って感じに仲間外れにされる可能性が高くなります。仲間外れにされ、孤独に生きなければならない可能性が高くなります。

だから人は普通に生きようとするんです。孤独になるのが怖いから普通に生きようとするんです。普通にサラリーマンになろうとするのも、普通に公務員になろうとするのも、普通に結婚しようとするのも、心のどこかに孤独になるのが怖いという感情があるからなんです。

確かに普通に生きていれば仲間外れにされ、孤独にならずにすむかもしれません。でも、そういう生き方を選んだとしても結局は孤独を感じる可能性はあるんです。

そういう生き方を選んだ人は、「普通じゃないけど、普通じゃない生き方をしている人」を見ると、仲間外れにされているような寂しさを感じやすくなります。それが被害妄想だとわかっていても仲間外れにされているような寂しさを感じやすくなります。「自分も普通じゃない道を選んでいればあそこにいたのかもしれない」という後悔を感じやすくなります。何度も何度もそんな寂しさや後悔に苛まれやすくなります。

結局、普通な生き方を選んだとしても、孤独を感じる可能性はあるんです。

あなたはその可能性があっても、普通に生きる道を選びますか?孤独が嫌だからという理由で普通の生き方を選びますか?

本当の仲間を見つけられる可能性が高いのは、普通じゃない道を選ぶほうがです。真の仲間とともに心から人生を楽しめる可能性が高いのも、普通じゃない道を選ぶほうです。

普通に生きる道と普通じゃない道、あなたはどちらの道を選びますか?

>>>我慢して生きている人は、自分らしく生きている人を叩く<<<

好きでもない普通の道を選んだ人は我慢が増えます。そのせいでストレスも増えます。ストレスが増えると攻撃的になります。

ゴシップ誌・Twitter・Yahooニュースで芸能人・YouTuberなどを叩いたりしている人が無数に存在してますよね。その中には、普通に生きているせいで溜まったストレスを発散するために叩いている人が無数に存在しています。

芸能人・YouTuberで成功している人達は、普通じゃない生き方で成功した人達です。そういう成功者のニュースを見ると、反射的にストレス発散のターゲットにしてしまうのです。嫉妬・寂しさ・羨ましさ・悔しさなどの感情が原因でストレス発散のターゲットにしてしまうのです。結果、過剰なまでに攻撃的なコメントを投稿してしまうのです。

○自分が幸せじゃないと、他人に優しくできない

今、あなたはバナナを5本持っているとします。あなたは、いつもバナナを3本食べるとお腹がいっぱいになります。

そこにお腹を空かせた友達が現れました。

あなたは友達が可哀想と思って、自分で食べる2本だけ残して、3本を友達にあげることにしました。

しかし友達はバナナが嫌いらしく、一言もお礼を言わずに、地べたにバナナを投げ捨てました。3本とも投げ捨てたんです。

このとき、あなたは、どういう気持ちになりますか?

ハラワタ煮えくり返りますよね。可哀想だから3本もあげたのに!3本食べたかったのに2本だけ残して、3本を友達にあげたのに投げ捨てられたら、そりゃ怒りますよね。ふざけんな!って思いますよね。

・・・でも・・・でもですよ、もしあなたがバナナを友達にあげる前に3本バナナを食べて、残り2本を友達にあげていたら、ハラワタが煮えくり返るほどの怒りは感じなかったと思いませんか?たとえ投げ捨てられても、ハラワタ煮えくり返るほどの怒りは感じなかったと思いませんか?怒りよりも憐れみを感じると思いませんか?「腹が減り過ぎてイライラがマックス状態だったのかもな」と相手を思いやることもできると思いませんか?

思いますよね!つまり、人は自分が満ち足りているときのほうが、他人を思いやることができるということです。逆に満ち足りてないときは、他人を思いやることができないということです。思いやることができないから、たかだかバナナを3本投げ捨てられただけでハラワタが煮えくり返るほどの怒りを感じてしまうんです。

「もしかしたら相手はお腹が空き過ぎてストレスマックス状態でイライラマックス状態で爆発寸前のダイナマイトみたいな精神状態だったかもしれない」「バナナが超嫌いだったかもしれない」と余裕があったならそう考えることもできるのですが、満ち足りてない人は瞬間湯沸かし器みたいにすぐに怒りを感じてしまうために、そう考える余裕がないんです。

逆に満ち足りている人は精神的な余裕があるから、「まあ、嫌いなら仕方ないかと思うことができたかもしれない」と思う余裕もあるんです。

このように人は満ち足りている状態(幸せを感じている状態)など他人に優しくできる可能性が高くなるんです。好意であげたバナナを捨てられたとしても優しくできる可能性が高いんです。

無理して普通に生きている人は幸福度が低くなる可能性が高い。つまりは無理して普通に生きている人は他人に優しくできない可能性が高いということです。

あなたは他人に優しくできる人間になりたいですか?それとも優しくできない人間になりたいですか?

他人に優しくできる人間になりたいのならば、無理して普通に生きるのはやめたほうがいいです。

まとめ

○普通に生きることのデメリット4選
・普通は良いことだと思い込んでいる
・孤独になりたくないから自分を隠して普通を選ぶ
・我慢して生きている人は、自分らしく生きている人を叩く
・自分が幸せじゃないと、他人に優しくできない

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