心が楽になる生き方4選!「置かれた場所で咲きなさい」という名言に縛られてはいけない!

「生きるのがツライ!」と思っていませんか?

思っている人は今すぐ書店に走り、曹洞宗・永平寺で約20年間修行生活を送った禅僧である南 直哉さんの書かれた「禅僧が教える 心がラクになる生き方」という本を購入して、お読みになってください。そうすれば生きるのが楽になると思います。

「書店に言っている暇がない!」という方のために南 直哉の本を要約してみました。

この記事を読んで少しでも生きるのが楽になって頂けたら幸いです。

(注!この記事には個人的な意見・解釈が多分に含まれています)

心が楽になる生き方4選!

○生きる意味を見つける必要はない

「何のために生きてるのだろう?」「生きる意味って何?」って考えたことありませんか?ありますよね。真面目なあなたならきっと考えたことあると思います。

そんなものは考える必要ないんです。答えを見つけようと頑張る必要もないんです。

生きる意味なんて知らなくても、生きていけるからです。楽しく生きていけるからです。幸せに生きていけるからです。だから生きる意味なんて考える必要ないんです。

生きる意味なんて知らなくても、誰かに罰を受けることもないんです。誰かに非難されることもないんです。誰かに仲間外れにされることもないんです。

だから生きる意味なんて考える必要ないし、答えを見つけようと頑張る必要もないんです。

生きる意味なんて考える時間があるなら、旅行に行ってリフレッシュしたほうが有意義です。アイドルのライブに行って楽しんだほうが有意義です。釣りに行って魚を釣っていたほうが有意義です。

それくらい生きる意味を考えることなんて価値のないことなんです。

なぜ価値がないのか?

どうせ考えても答えなんて見つけられるわけないからです。

見つけられるのは一部の賢人だけです。「老子」「諸葛孔明」「孫子」などの賢人だけです。それ以外の人には見つけることなど不可能なんです。それ以外に該当する私達にはどれだけ考えても見つけることなんて不可能なんです。見つけることが不可能だから考える価値などないのです。

「羽根もないのに、鳥のように空を飛ぼうとする」「走行している車を腕力で止めようとする」「素っ裸の状態でビルの屋上から飛び降りて、無事着地しようとする」などの行為は実現不可能ですよね。生きる意味を見つけようとする行為はそんな実現不可能なことをするのと同じようなものなのです。

だから生きる意味を見つけようする行為に価値などないのです。

そんな価値のない行為をするよりも、彼女とのデートプランを考えるほうが遥かに価値があるのです。

>>>物語の見過ぎ・読みすぎのせいで生きる意味を考えてしまう<<<

世の中には、漫画や小説などの物語があふれています。アニメ・映画・テレビドラマなどの物語もあふれています。

物語があふれているということは、それだけ人が物語を求めているということです。たくさんの人が物語を求めているから世の中には物語が溢れているんです。

なぜたくさんの人が物語を求めてしまうのでしょうか?感動するため?楽しむため?笑顔になるため?正解です。でもそれだけではありません。他にも人が物語を求めてしまう理由があるんです。

例えば、自分の願望を満たすためという理由です。物語のようなドラマティックな人生を送ってみたいという願望を満たすためという理由です。

自分も物語のようなドラマティックな人生を送ってみたい願望があるんです。人の心の中には多かれ少なかれドラマティックな人生を送ってみたい願望があるんです。その願望を満たすために物語を求めてしまう人もいるんです。たくさんいるんです。

誰の中にもドラマティックな人生を送ってみたい願望があるのですから、この願望を満たすために物語を読む人がたくさんいるのは当然のことなのです。

この願望が強い人は、登場人物からの影響を受けやすくなります。願望が強ければ強いほど、登場人物からの影響を受けやすくなります。人によっては自分が物語の登場人物と同じ人生を送ったような錯覚を覚えるくらいの強い影響を受けることもあります。

物語の登場人物には、「宿命」を持っていたり、「使命」を持っていたり、「生きる意味」を必死に探したりする人物が多いです。そんな登場人物に強い影響を受ければ、自分にも宿命や使命があるに違いないって思ってしまいます。そして宿命や使命や生きる意味を探したくなってしまい、実際に探してしまうのです。

もう一度言いますが、生きる意味なんて探す価値はないんです。どうせ見つからないから探す価値ないのです。彼女と遊園地に行くプランを考えるほうが価値があるんです。健康のためにスルメ食べているほうが価値があるんです。ヤクルトを飲むほうが価値があるのです。

だから生きる意味なんて探さないでください。そんなものを探す暇があったら潮干狩りに行ってアサリでも探してください。

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○置かれた場所にこだわらなくていい

「置かれた場所で咲きなさい」という名言があります。「自分の置かれた環境、その環境がどんな厳しい環境だったとしても精一杯頑張りましょう」いう意味の名言です。

素晴らしい名言ですね。

人間にはその環境がどれほど過酷でもその中で頑張らなければならないときがあります。たとえば戦争時。人は否応なしにその過酷な環境で生きなければなりません。そんな環境でもめげずに精一杯生きる、腐らずに自分のできることをする、手を抜かずに最善を尽くす。そういう意味が込められた名言です。

本当に素晴らしい名言ですね。

確かに素晴らしい名言です。真面目な日本人ならば、この言葉を胸に刻んで、置かれた環境で咲く努力したくなるような素晴らしい名言だと思います。実際、この名言を胸に刻んで置かれた環境で頑張っている人もいると思います。

でも、素晴らしい名言だからといって、この名言に縛られてはいけません。この名言に縛られて、今置かれている環境で頑張ることが、必ずしも正しいとは限らないからです。もしかしたら今の環境で頑張るよりも別の環境で頑張ったほうが社会貢献ができるかもしれないし、良い成果を上げられるかもしれないし、幸せになれるかもしれないからです。

だから「置かれた場所で咲きなさい」という名言に縛られていけないのです。別の環境に行ったほうがより幸せになれる、より家族を幸せにできる、より社会貢献できる、より成長できる、そういう可能性が高いのなら、迷わず、別の環境に行くべきなのです。そういう選択をするためにも名言に縛られてはいけないのです。

「置かれた場所で咲きなさい」という名言に従って、毒親のいる環境で精一杯頑張り続けた結果、大きなトラウマができてしまい、一生そのトラウマに苛まれることとなった。

「置かれた場所で咲きなさい」という名言に従って、ブラック企業という環境で頑張り続けた結果、病気になり、一生その後遺症に悩まされることとなった。

というように名言に従って生きた結果、不幸になることだってあるのです。もし、その名言に従わず、別の環境に移っていたら、不幸にならずにすんだかもしれないのです。

そういう可能性があるから、「置かれた場所で咲きなさい」という名言に縛られてはいけないのです。名言に縛られると、より成長するチャンスを、より幸せになるチャンスを、より社会貢献できるチャンスを、より健康的になれるチャンスを逃してしまうかもしれないから縛られてはいけないんです。

「置かれた場所で咲くことは素晴らしい。けれど別の場所で咲くことも素晴らしい」くらいの気持ちで生きていたほうが人生の幅が広がり、心の余裕も持つことができます。

○充実した人生を送ろうとしなくていい

充実した人生って憧れますよね。仕事の充実・人間関係の充実・恋愛の充実・プライベートの充実・結婚生活の充実・夜の営みの充実などなど、そんな充実した人生って憧れますよね。

たくさんの人がその充実した人生を手に入れるために頑張っています。そして充実した人生を手に入れた人達はその人生を失わないために頑張っています。

以上のことからわかることは、充実した人生を求め続ける限り、頑張り続けなければならないってことですね。充実した人生を手に入れる前も、手に入れた後も、頑張り続けなければならないってことですね。

それは当然ですよね。頑張り続けなければ充実した人生なんて手に入れられないですし、頑張らなければ手に入れた充実した人生を維持できないのですから・・・頑張り続けなければならないのは至極当然のことですよね。

常に頑張り続けなければいけない生き方なんてシンドイと思いませんか?充実した人生を手に入れる前も手に入れた後も頑張らなければならないなんてマジでシンドイって思いませんか?

思いますよね。そんなシンドイ人生送り続けるのなんて嫌だって思いますよね。

そう思った人は今すぐ充実した人生を求めることをやめましょう。やめれば、気楽に生きられます。

残念ながら誰もが充実した人生を送れるわけではないんです。どれだけ努力しても充実した人生を送ることができない人だっているんです。どれだけ努力しても辛いだけの人生を送る人だっているんです。どれだけ努力しても目的が達成できない人だっているんです。

だから充実した人生を追い求めるのがシンドイなら今すぐやめましょう。

別に充実した人生を積極的に追い求めなくても、充実するときは充実するんです。たいして努力しなくても、充実するときは充実するんです。宝くじに当たるみたいに充実するときは充実するんです。何の努力もしなくても充実するときは充実するんです。

だから充実した人生を追い求めるのはやめて、運良く充実した人生を遅れたらいいな!くらいの軽い気持ちで生きればいいと思うんです。そうすれば気楽に生きられるはずです。

気楽に生きることができるようになれば、生きるスピードがゆるやかになり、周りの景色がよく見えるようになります。

周りの景色がよく見えるようになれば、美味しそうなもの・楽しいもの・笑えるもの・感動できるものなどを見つけやすくなり、人生を楽しめる可能性が高くなります。

人生を充実させるために頑張り続けることも素晴らしい生き方だと思いますが、気楽に生きて、さまざまな美味しそうなもの・面白いものなどを見つけて楽しむことも素晴らしい生き方だと思いますよ。

たった一度の人生です。自分がより幸せを感じられる生き方を選択してください。

○夢を持とうとしなくていい

日本では過剰なまでに夢を持つことを勧めてきます。「夢を持たないことは悪いことだ!」「夢を持つないのは非常識だ!」と言わんばかりにしつこく勧めてきます。押し売りみたいにしつこく勧めてきます。宗教の勧誘みたいにしつこく勧めてきます。

確かに夢を持つことは素晴らしいことだと思います。素晴らしいことですが、夢を持つことが必ずしも素晴らしいとは限らないとも思います。

だって夢は100%叶うものではないのですから。ほとんどの人は夢叶わず諦めることになるのですから。そんなハイリスクな「夢を持て!」と強制するのは間違っています。夢が叶わなかったときに誰も慰謝料を払ってくれるわけでもないのに、「夢を持て!」と強制するのは絶対に間違っています。

夢を叶えなくても幸せに生きている人はたくさんいます。夢を叶えていないのに、いつもニコニコしているお母さんもたくさんいます。夢を叶えていないのに、家族と幸せに暮らしているサラリーマンもたくさんいます。夢を叶えていないのに、いつも元気にスーパーの仕事をしている40代女性もたくさんいます。

夢を叶えなくても、幸せに生きている人はたくさんいるのです。

それなのに、過剰なまでに「夢を持て!」と強制するのは絶対に間違っています。夢を持つも持たないも個人の自由だと思います。それなのに夢を持つことを強制する社会風潮は絶対に間違っていると思います。

というわけで、無理に夢を持つ必要はないと思います。夢がなくても人は幸せに生きることができるのですから、無理して持つ必要なないと思います。

まとめ

○心が楽になる生き方8選!
・生きる意味を見つける必要はない
・置かれた場所にこだわらなくていい
・充実した人生を送ろうとしなくていい
・夢を持とうとしなくていい

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