ゲームショップが消えた理由7選!「中古ソフト販売は合法!」で新たな強敵現れ、敗北!?

かつてゲームショップは街の至るところに存在していました。コンビニほどの数が存在していたわけではありませんが、パチンコ屋に匹敵するくらいの数は存在していました。

わんぱくこぞう、カメレオンクラブ、桃太郎、ワンダーグー、ビスコ、TVパニック、ブルート、ゲーマーズマーヤなどさまざまなゲームショップが無数に存在していたのですが、全国出店してるところは稀で、特定のエリアだけに集中して出店しているショップが大半でした。

ゲームショップには数多くの新作ゲームが並び、数多くの中古ゲームが並び、数多くのポスターが並んでいました。中にはアーケードゲーム機を置いているショップの少なくありませんでした。

当時の子供達の多くは、コンビニに行く感覚でゲームショップに通っていました。

そんな街の至るところに存在して賑わっていたゲームショップですが、時代の流れとともにどんどん数を減らし、今ではほとんど見掛けなくなってしまいました。

なぜゲームショップの数は減ってしまったのか?あなたの街にあったゲームショップがなぜ消えてしまったのか?

それについて説明していきたいと思います。

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ゲームショップが消えた理由

○任天堂の供給コントロール

ファミコン(正式名称・ファミリーコンピューター)は、任天堂より1983年7月15日に発売された家庭用ゲーム機です。

ファミコンは、発売と同時に大ブームになりました。そのブームの波に乗って、街のあちらこちらに出現し始めたのがゲームショップです。

ゲームショップは、1980年代は、巨大なライバルが存在していなかったので潰れることは稀でした。

ですが、1990年代に入ると状況が一変。ゲームショップの数が増え過ぎて、ゲームショップ同士の争いが激化してしまいました。

ゲームショップの数が増えて、競争が激化したことにより、とある問題が生じてしまいました。

その問題とは、メーカーに大量の商品発注が来てしまう!という問題です。

例えば、200万本売れるソフトが出るとします。200万本も売れるソフトなんて人気ソフトに決まっています。そんな人気ソフトを販売できれば、ショップの売上が上がり、利益も上がり、ショップに来てくれるお客の数も増えます。良いことずくめなのです。

なので、ショップは、少しでも多くその人気ソフトを入荷しようとします。90年代はショップが乱立していました。そのせいで200万本売れる人気ソフトが出るとなると、乱立状態のショップの多くが、最大限キャパで問屋に商品発注するので、メーカーに500万本とか600万本レベルの過剰な発注依頼が来てしまうようになってしまったのです。

200万本売れるソフトというのは、つまり、買う人が200万人しかいないソフトということです。買う人が200万人しかいないソフトなのに600万本小売店に流したら、400万本は市場で余ってしまいます。

ソフトが余れば当然安値で叩き売られます。叩き売られれば、市場で「ゲーム=安値」の悪いイメージがついてしまい、ブランドが崩壊するリスクが高まってしまいます。

それを恐れた任天堂はソフト供給数のコントロールを開始したのです。

任天堂は、初心会という問屋に独占的にソフトを供給するようになり、初心会は任天堂公認のフランチャイズを開始しました。このフランチャイズに加盟したショップは初心会から大量のソフトを供給してもらうことができました。でも未加盟のショップは少量しか供給してもらえませんでした。中にはまったく供給してもらえないショップもありました。

当時の報道によると、フランチャイズ加盟店には500本以上のゼルダの伝説が供給される中、フランチャイズ未加盟店にはたった16本しか卸されなかったそうです。

人気ソフトが大量に供給される加盟店は、当然、集客力がアップし、売上もアップします。ですが、人気ソフトがほとんど供給されない未加盟店は、当然、集客力が上がらず、売上も上がりません。当然、経営も厳しくなります。その厳しさに耐えられなくなり、たくさんの未加盟店が倒産しました。

「フランチャイズに加盟すれば倒産しなかったのでは?」思った読者さんいますよね?

残念ながらフランチャイズに加盟するには5坪以上の任天堂専門コーナーと保証金などが必要だったため、すべてのショップが簡単に加盟できるものではなかったのです。

ゲームショップの大半は資金力も少なく、店の規模も小さかったんです。だから大半のショップがフランチャイズに加盟することができなかったんです。

結果、たくさんのショップが店を畳むことになったのです。

でも、フランチャイズ加盟店の中にも苦労した加盟店があったんです。

なぜ苦労したのか?

それは発注数を任天堂や問屋に決められてしまい、商品が余り始めた時には、逆に過剰在庫を抱えるというダメージを受けることがあったからです。

基本的に発注したソフトは、ショップが買い取らなければなりません。なので、発注したソフトが売れ残れば、その分だけ、ショップが損をするということなのです。

だから加盟店だからといって、必ずしも安泰というわけではなかったのです。

○ソニーのルールに翻弄される

1994年になるとソニーからプレイステーションが登場しました。

ソニーは問屋を通さず、全国の小売店と直接契約すると発表しました。この発表にゲームショップの人々は歓喜しました。これまで初心会のせいで供給量を厳しく制限されていたのですから喜ぶのは当然のことでした。

プレステは本体価格の仕入れ値が安く、スーパーファミコンを売るより小売店に利益が多く残りました。この事実にもゲームショップは喜びました。

ただ、残念ながら嬉しいことばかりではありませんでした。嬉しくないことも当然ありました。

ゲームショップにとって嬉しくないこととは、ソニー陣営との取引には「中古売買の禁止」「値引き販売の禁止」という厳しいルールがあったことです。

なぜ、ソニーはこのような厳しいルールを小売店に課したのか?

それはソニーが商品の値崩れを恐れていたからです。

読者の皆様は、アタリショックという言葉をご存知でしょうか?

アタリショックとは、1982年のアメリカにおいての家庭用ゲーム機の売上不振&クソゲー乱発による価格下落で市場が崩壊したことを意味する言葉です。

北米における家庭用ゲームの売上高は1982年の時点で約32億ドル(同年末の日本円で約7520億円)に達していたが、1985年にはわずか1億ドル(同年末の日本円で約200億円)にまで減少した。北米の家庭用ゲーム市場は崩壊し、ゲーム機やホビーパソコンを販売していた大手メーカーのいくつかが破産に追い込まれた。ゲーム市場最大手であったアタリ社も崩壊、分割された。この1983年から1985年にかけての北米家庭用ゲーム市場の崩壊をVideo game crash of 1983と呼ぶ。日本ではアタリショックと呼ばれる。

ウィキペディアより引用

当時のメーカー(ソニーを含む)は、このアタリショックが念頭にあったせいで、必要以上に商品の値崩れを恐れていたんです。

だから値崩れを防ぐために、ソニーは「中古売買の禁止」「値引き販売の禁止」という厳しいルールを小売店に課したんです。

でも、ほとんどの小売店はそのルールを守り、プレステ本体&ソフトを販売していました。

プレステはセガサターンとほぼ同時期に発売されているのですけど、プレステはセガサターンよりも利益率の高かったので、そのルールを守っても十分な利益を得られることがわかっていたからプレステ重視で販売をしていたんです。

ソニーとショップとの良好な関係は続くかのように思えました。が、長くは続きませんでした。

ソニーは当初「やむを得ない返品は受け付ける」と小売店に説明していたんですけど、実際は非常に厳しい態度で返品拒否をしていたのです。

まあ、厳しい返品拒否はソニーだけでなく、どのメーカーも当たり前のようにやっていたんですけどね。

返品拒否が多くなれば、余剰在庫を抱えたショップは損失が増えてしまいます。そんな損失が増えれば当然経営が苦しくなります。

「中古売買の禁止」「値引き販売の禁止」「返品拒否」の三重苦が、ショップ経営者を苦しめたのです。

そんなショップ経営者をさらに追い詰めるような発表がされたんです。

超人気ソフトFF7(1997年1月31日発売)を開発していたスクウェア(現スクエニ)が、その供給の半分以上をコンビニルートで流すことを発表したんです。

FF7は300万本は売れるだろうと予想されていた超人気タイトルだったんです。そんなソフトの半分以上もコンビニルートで流されたら、残り半分を小売店で争わなければなりません。当然、競争力の弱いゲームショップではその争いに勝てるわけがありません。結局、弱小小売店のほとんどが、FF7の恩恵を受けられず、FF7ブームをただ指を咥えて見ていることしかできなかったのです。

>>>セガを信じたゲームショップの末路<<<

任天堂の公認フランチャイズ戦略から弾き出され、ソニーからも無視されたセガと関連問屋は、なんとか独自流通の道を探っていました。そしてセガユナイテッドという流通会社を立ち上げました。

だが、その流通会社&セガが潤うことはありませんでした。

任天堂を破り、天下をとったプレステの勢いは留まるところを知りませんでした。そんなプレステにセガが勝てるわけがありませんでした。負け続けました。

それでもセガはなんとかソニーに勝とうと、無計画に自社ソフトを乱発しました。結果、店頭には価格崩壊したセガのソフトが大量に安売りされていました。ワゴンセールの中を見ればセガのソフトが溢れていました。

セガを信じて、セガに肩入れしていたゲームショップは当然、地獄を見ました。ワゴンセールの中に溢れるセガソフトを見て、絶望のため息を吐きました。

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○中古ソフト販売は合法!で新たな強敵現る

90年代中頃から後半にかけて話題になった中古ソフト販売は合法か否か問題!

ソニー陣営はショップに対して、中古販売を固く禁じていました。

中古販売の利益率は新品販売の利益率よりも遥かに高いんです。現在においても、新品は中古品の倍の売上高であるにもかかわらず、中古のほうが利益率は遥かに高いんです。

だからショップは中古ソフトを売りたいんです。でもソニーは新品のほうが利益率が遥かに高いから中古販売を頑なに認めなかったんです。

でも、このソニーの態度に問題視する組織が現れたんです。1998年1月に現れたんです。公正取引委員。この組織がソニーの態度を問題視したんです。

これに対してソニー陣営は訴訟に踏み切ったんです。裁判は最高裁までもつれ込むもソニー陣営の敗訴!これにより、ゲームの中古販売と値引き販売は合法!となったのです。

「これで中古ソフト販売を堂々とできる」と喜ぶゲームショップ。だが、その喜びは長く続きませんでした。新たな強敵が現れてしまったんです。街のレンタルショップ&古本屋という新たな強敵が・・・

中古販売と値引きの合法化は、街のゲームショップだけでなく、街のレンタルショップ&古本屋(ゲオ、ツタヤ、古本市場など)も魅力的な福音だったのです。

2000年代初頭の頃、レンタルビデオショップや古本屋が合併を繰り返し、巨大化していました。巨大化して大型店舗化したレンタルショップや古本屋は、さまざまな商品を扱い、その一部としてゲームを扱っていました。

この頃、ちょうど大規模小売店舗法が改正されて、大型店舗の地方出店が自由になり、大型店舗は全国規模でまたたく間に増えていきました。

ゲオ、ツタヤ、古本市場などの大型店舗は、中古販売のキモである買取のパワーも強いし、組織体もでかいから、値引きだって気にせずガンガン実行できました。

新品及び中古メディアの複合販売となった巨大な大型店舗は、新品&中古ゲームでお客を釣って、他の商品で利益を上げればいいという考えで運営する余裕がありました。ゲームそのもので利益を出す必要がないという余裕があったから、高い買取価格・安い販売価格・セールス時はさらに安い価格でゲームを取り扱うことができました。

こんな運営スタイルできる大型店舗に、資金力の乏しい零細ショップが勝てるわけありません。連戦連敗です。そのせいで多くの零細ゲームショップが店を畳みました。

○任天堂のソフトを入荷できない

2004年にはニンテンドーDSが発売。大ブームとなり、売れに売れたDSだったのですが、街のゲームショップには、ほとんど在庫が入ってこなかったんです。

街のゲームショップは過去にいまいち売れなかった「Nintendo64」「ゲームキューブ」の販売より「プレステ1・2」の販売を重視していたことがあったんです。その時のことを根に持っていたのか、任天堂は小規模店舗(ゲームショップを含む)をスルーして、任天堂が昔からのお得意様であるデパートやオモチャ系問屋ルートをメインで商品供給していたんです。

そのせいで街のゲームショップには、ほとんど商品が供給されなかったんです。その結果、ゲームショップはDS人気の波に乗ることができず、DSブームを指を咥えて見ていることしかできませんでした。「任天堂め!心狭すぎるんだよ」と思った経営者は星の数ほどいたことでしょう。

○ゲーム業界の構造的問題

プレステの頃から、街のゲームショップには厳しい業界習慣による弱点があったんです。

その弱点とは、小売店が手にする利益率が低いことです。

新品ゲームソフトの仕入れ値は定価の約75%。定価が1万円だとすると、仕入れ値は7500円。

店頭では新品ソフトでも約10%の値引きして売ってるから、販売価格は9000円。ソフトが売れると1500円の儲けです。値引きしなければ2500円の儲けでした。でも、どの店も値下げしているので値下げせざるを得なかったんです。たとえ1000円損をするとわかっていても生き残るためには値下げせざるを得なかったんです。

仮に定価1万円のソフト5本を仕入れて1本売れ残った場合、売れた4本分の利益が1500円×4で6000円。そして余った在庫1本の損失が7500円。この時点で1500円の赤字が決定です。

5本仕入れても、たった1本でも売れ残れば、その時点で赤字なんです。

当時のゲームショップはこんなシビアな経営をしていたのです。

アメリカには、プライスプロテクションというルールがあります。このルールは、店頭販売価格で値引いた分はメーカーが差額を負担しなければならないというものでした。だからアメリカのゲームショップは安心して値下げができたのです。

ですが、日本にはこのようなルールがなかったため、値下げすればするほど、小売店側が利益が減るという恵まれない状況でした。

そんな状況に弱小ゲームショップが耐えられるわけがありません。街から一つ、また一つと力尽きたゲームショップが消えていきました。

>>>昔はゲームソフト一本あたりの利益率はもっと高かった<<<

実は、昔はゲームソフト一本あたりの利益率はもっと高かったのです。

スーパーファミコンのソフトの仕入れ値は、60%程度だったのです。

プレステソフトの仕入れ値は75%。

つまり、スーファミソフト・プレステソフトともに定価1万円だった場合、スーファミソフトの仕入れ値は6000円、プレステソフトは7500円ということになります。なんとスーファミソフトのほうが1500円も安く仕入れることができたのです。

プレステソフトよりも1500円も安く仕入れることができるということは、スーファミソフトのほうが利益を上げやすいということです。

○スマホゲームの登場とDL時代の到来

スマホゲームの登場でわずかに残ったゲームショップも大ダメージを受けることになりました。ゲームショップだけでなく、据え置きゲームに関わる全てのメーカーも大ダメージを受けました。それくらいスマホゲームは強かったのです。

スマホゲームによって大ダメージを受けたゲームショップですが、さらに傷だらけのゲームショップに追い打ちをかける出来事が発生したんです。

その出来事とは、ダウンロード販売です。メーカーがパッケージ販売を減らし、ダウンロード販売の量を増やしたんです。その結果、ゲームショップは売るものが激減しました。当然、売上も激減しました。その結果、巨大な競合企業として市場を席巻してきたゲオ、ツタヤ、古本市場などの閉店ラッシュが始まってしまったんです。当然、なんとか経営を続けていた零細ゲームショップもダメージを受け、閉店に追い込まれてしまいました。

その結果、ゲーム販売しているお店が激減してしまったのです。

今では、中古ソフトを売るならメルカリ・ヤフオフで売ったほうが高く売れる時代になってしまい、今、残っているゲームショップ・大型店舗も、ますます生き残るのが難しい時代になってしまいました。

というわけで、現在、ゲームショップが生き残るのは非常に難しい時代になってしまっているんです。

まとめ

○ゲームショップが消えた理由
・任天堂の供給コントロール
・ソニーのルールに翻弄される
・中古ソフト販売は合法!で新たな強敵現る
・任天堂のソフトを入荷できない
・ゲーム業界の構造的問題
・スマホゲームの登場とDL時代の到来

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