『バースデーブルー』誕生日に命を絶つ人が増える理由。ギャップと残酷さが原因。
●誕生日は自殺増、他の日の1・5倍…大阪大研究チーム
誕生日に自殺する人は他の日の約1・5倍になることを、大阪大の松林哲也准教授(公衆衛生学)らのチームが、厚生労働省の人口動態調査データの分析で明らかにし、1日発表した。
チームが昭和49(1974)~平成26(2014)年の人口動態調査データを分析した結果、自殺や事故で死亡したのは約207万人で、うち約8千人が誕生日に亡くなっていた。このうち誕生日に自殺した人は約4100人で、それ以外の日の平均約2700人の約1・5倍だった。
残酷だけど仕方ない・・・でも
子供の頃は「Happy birthday to you」と歌ってくれる大人や友達がたくさんいた。でも、今は1人もいない。そのギャップに絶望感や孤独感を感じてしまう。
子供の頃はたくさんの人が自分の誕生日を祝ってくれた。でも今は誰も祝ってくれない。そのギャップに絶望感や孤独感を感じてしまう。
自分と同年代の人がレストランで恋人に誕生日を祝ってもらっている。なのに僕には恋人がいない。そのギャップに絶望感や孤独感を感じてしまう。
明と暗の差が大きいほどにその絶望感や孤独感も大きくなる。
その絶望感と孤独感が大きいほどに自ら命を絶つ確率が高くなる。
この絶望感や孤独感は誕生日だけに感じるものではない。クリスマスやバレンタインや夏祭りでも感じるものだ。
クリスマス。クリスマス色に染まった賑やかな街。恋人たちが手をつないで歩いている。立ち止まってキスをしている恋人たちもいる。子供たちは今日のプレゼントに期待に胸を膨らませている。心躍るジングルベルの音楽が流れ続けている。
でも私には恋人がいない。キスをする相手もいない。手を組む相手もいない。プレゼントをくれる人もいない。ジングルベルの音楽を聴いても心弾まない。
そのギャップに絶望感や孤独感を感じる。
バレンタイン。チョコを渡す女の子。受け取る男の子。新しい恋人たちが生まれる日であり、愛を確認する日でもあるバレンタイン。愛に満ちたバレンタインディー。
でも私には愛がない。愛してくれる人もいないし、愛している人もいない。
そのギャップに絶望感や孤独感を感じる。
誰かにそんな絶望や孤独感を感じさせるリスクのあるバレンタイン・クリスマスにはある種の残酷性がある。ときに人を死に追いやるほどの残酷性を露わにするときもある。
この残酷性を幸せな人たちは理解していない。だから平気でバレンタインやクリスマスを楽しめる。
でも、それは仕方のないことだ。他人にとって知らない誰かが傷つくことなど関係ないことなのだから。
他人にとって知らない人間が傷だらけになろうが、血まみれになろうが、命を落とそうが、他人にとってはどうでもいいことなのだ。
人にはそういう残酷性がある。
だからバースディーブルーに陥る人が現われるのだ。
不幸な人がいるのに自分たちの誕生日を祝う人たちがいるから。知らない他人に残酷な人々がいるから。バースディーブルーに陥る人が現われるのだ。
人は残酷な生き物である。他人を不幸にしてでも自分の幸せを追求できる残酷性を持っている。
でも、それはしかたのないことだ。人には幸せを追求する権利があるのだから。その過程である程度誰かを傷つけることは許されていることなのだから。少なくとも自分の幸せを見て誰かに引け目を感じさせ、心を傷つけるくらいの傷を負わせることは許されている。
だからしかたないことなのだ。バースディーブルーを感じる人が現われることは。
ある程度の傷を他人に与えてよい世界なのだからしかたないのだ。
もし、そんな傷すら他人に与えてはいけない世の中になってしまったら、つまらない世の中になってしまう。誰も誕生日を祝わない、クリスマスを祝わない、バレンタインを楽しまないようなつまらない世の中になってしまう。
そんな世の中は間違っている。だから人にはある程度他人を傷つけてでも幸せを味わう必要があるのだ。暗い世の中にしないため。
でも、幸せな人もときどきでいいから、自分たちのせいで傷ついている人がいることをわかってほしいと思うことがある。
そうすればバースディーブルーに結果、命を絶つ人の数を減らすことができると思うからだ。
自分たちのせいで傷ついている人がいる。自分たちが恵まれている。そう思うことができれば他人にもある程度は優しくできると思うんです。少なくとも他人が悩んでいたら声をかけるくらいの優しさを持つことはできると思うんです。
その優しさを持つ人が増えればバースディーブルーで命を絶つ人は減ると思うんです。
そう思うから、幸せな人に自分たちのせいで誰かが傷ついていることをわかってほしいと思ってしまうんです。わかって、他人に対してある程度の優しさをもって接してほしいんです。
もしかしたらその優しさをもって接した相手がバースディーブルーで悩んでいる人かもしれない。優しくされたその人は生きる希望を持つことができるかもしれない。
そういう可能性があるから他人にもある程度優しくしてほしい。
そう僕は思ってしまうんです。
難しいことはわかっています。他人に親切にすることはある種の危険がある。それはわかっています。
でも、僕は幸せな人は他人に優しくしてほしいと思ってしまいます。リスクがあっても優しくしてほしいと思ってしまうんです。
ベースディーブルーの人は誰かの優しさを求めていると思うからです。優しさに飢えているからバースディーブルーを感じてしまうと思うからです。
だから幸せな人はできる範囲で他人に優しくしてほしいと思ってしまうんです。
1人でもバースディーブルーなどの不幸の結果、命を絶つ人の数を減らすために。
幸せな人なら不幸な人に優しくするだけのゆとりがあると思うんです。
僕の意見に賛同して、誰かに優しくしてみようと思ってくれた人がいたら嬉しいです。
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