悪口を言う6つの理由 悪口を言わないほうがいい理由

悪口を言う理由

理由1、ストレス解消のため

ストレスは人を怒りっぽくします。怒りを抱きやすくなれば怒りを抱く頻度が高くなります。怒りを抱けば攻撃的になります。つまり、ストレスが溜まれば、攻撃的になる頻度も高くなるということです。

攻撃的になれば悪口を言うリスクが高くなります。悪口を言えば、ストレスを解消することができるからです。

だからストレスが溜まり、攻撃的なればなるほど、悪口によってストレスを解消したい気持ちが高まります。

モラルが高く我慢強い人はその衝動を我慢します。でも、モラルが低く我慢強さも低い人はその衝動に負け、悪口を言ってしまいます。

モラルが低く、我慢強さも低いほどなんの躊躇もなく、悪口を言うようになります。

ネット上で批判的コメントばかりする人、ヘイトコメントばかりする人、罵詈雑言ばかりす言う人の中にはモラルが低く、我慢強さも低い人が多いです。

悪口は敵を作りやすいし、見栄えも悪いです。そのため、他人から悪口を言われるリスクが高いです。

他人から悪口を言われればますますストレスが溜まって、攻撃的になってしまい、悪口を言うようになってしまいまう。

悪口は、敵を作る→敵に悪口を言われる→ストレスが溜まる→攻撃的になる→悪口を言う→敵を作る、という負の循環に陥るリスクが高い。

だから悪口を言うのはやめたほうがいいです。

理由2、勝利感、優越感を得るため

悪口を言えば優越感を抱くことができます。

「アイツは馬鹿だ」「アイツは間違っている」「アイツは女癖が悪い」と相手の悪口を言えば、自分のほうがアイツより上だと思うことができて、優越感を抱くことができます。

さらに相手の悪口を直接言うことによって精神的ダメージを与えることができれば勝利感を得ることができます。

さらに悪口によって相手にダメージを与えることができれば自分のほうが優位に立つことができます。その優位性が優越感を感じさせてくれます。

さらに悪口によって相手が泣いたり、逃げたりすれば相手は敗者ということとなり、自分は勝者ということになります。そうなれば勝利感と優越感を得ることができます。

以上のように悪口は優越感と勝利感を与えてくれます。

弱い者いじめする人や承認欲求の強い人やパワハラ・モラハラをする人や陰口の多い人の中には優越感や勝利感を得るために悪口を言う人が多いです。

理由3、義憤を晴らすため

正義感の強い人は非常識なことをする人や不道徳なことをする人を見ると義憤という名の怒りを抱きます。相手が非常識なこと・不道徳なことをすればするほどその怒りは強くなっていきます。

その怒りを抱いたとき、その怒りを晴らす方法のひとつに悪口を言うがあります。

悪口は相手を傷つける言葉です。その言葉を義憤を抱かせた相手に言えば、相手を傷つけることができます。

相手の悪口を言うことによって相手を傷を傷つけることができれば義憤を解消することができます。相手の傷が大きいほど解消度もアップします。

義憤とは自分の信じる正義・良識を傷つけた者への復讐を含んだ感情です。

復讐心を満足させるために相手を傷つける必要があります。傷つけることによって復讐心は解消することができます。

暴力的な人は相手をぶん殴ったり、蹴ったりなどして復讐心を解消しようとします。でも、肉体的暴力は犯罪だし、リスキーです。だから義憤を抱いた人のほとんどは悪口を言うことによって復讐心を解消しようとします。

この悪口という方法なら相手に直接言わなくてもある程度復讐心を解消することができます。一緒になって悪口を言ってくれる人がいればさらに解消度が増します。気休め程度にしかならない場合もありますが、何もしないよりはマシです。

そんなメリットがあるため、義憤を抱いた人の多くは悪口という方法を使います。

正義によって生じた義憤を悪口という攻撃によって解消する。

それが義憤を抱いた人が悪口を言ってしまう理由です。

正義感が強い人の中には他人の悪口を言うのは恥ずべき行為だと思っている人がいて、そういう人は悪口を言うと罪悪感を感じてしまうので悪口を言いません。

でも正義感の強い人の中には正義・良識に反することをする奴には悪口を言ってもかまわないという人もいて、そういう人は正義・良識に反することをした奴には容赦なく悪口を言います。

同じ宗教の中にも違う考え方を持つ人がいるように同じ正義感の強い人の中にも違う考え方を持つ人がいるんです。悪口を良しとする正義感の強い人と悪口を良しとしない正義感の強い人がいるんです。結婚を良しとするキリスト教徒と結婚を良しとしないキリスト教徒がいるように。

悪口を言う正義感の強い人は悪口を制裁と解釈しています。だから人の道に外れる行為をした奴に対しては制裁という名の悪口を言います。

理由4、保身のため

臆病な人は他人の意見や行動に流されやすい。

みんながやっていることをやらないと馬鹿にされるかもしれない、いじめられるかもしれないと思って、他人の意見に合わせた行動をしやすい。

そういう人は実際に他人の意見や行動に流されることが多くなります。

当然、他人が悪口を言えば自分も悪口を言ってしまうことも多くなります。

悪口を言わなければ、仲間はずれにされる、いじめられると思って悪口を言ってしまうのです。

臆病な人が周りの友達が悪口を言っているので自分だけ言わずにいるというのはとてつもなく勇気がいることです。その勇気を持つことができる臆病な人は少ないと思います。

そのため臆病な人の周りに悪口を言う友達がいた場合、その臆病な人がいっしょになって悪口を言う可能性は非常に高いです。

グループで陰口を言う人の中には、この臆病さが原因で悪口を言っている人が多くいると僕は思っています。

第二次世界大戦で『戦争なんて嫌だけど戦争反対なんて言えば周りの人たちに酷いことされる』と思って戦争を支持し続けた人と同じように『悪口なんて言うのは嫌だけど悪口反対なんて言えば周りの人たちに酷いことされる』と思って悪口を言い続ける人がたくさんいると僕は思っています。

そういう人を卑怯と言うのは簡単です。でも、自分もいじめられるリスクが高い状況で自分は悪口を言わないと表明するのはとてつもなく勇気がいることだと思います。

だから僕には安易に周りの人に合わせて悪口を言う人を卑怯とは言えません。

理由5、相手のことが気に入らないから

相手のことが気に入らないということは相手のことが嫌いだということです。

嫌いな相手には嫌悪感を抱きます。その嫌悪感が怒りを抱かせ、悪口を言いたい衝動を抱かせます。

その衝動に素直に従った場合、人は悪口を言います。

『あばたもえくぼ』という状態は相手のことを好きになると相手の欠点さえ良く見えるようになる現象です。普通の人なら「アイツ目つき悪いな」と思うのにこの現象の只中にいる人は「あの人の目かっこいい」と思ってしまいます。

これが『あばたもえくぼ』現象です。

そして反対の現象、嫌いになると相手の美点も悪く見える現象を『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』現象です。(これは僕の造語です)

普通の人なら「アイツの顔カッコいいな」と思うのに、この現象の只中にいる人は「アイツの顔気に入らない」と思ってしまいます。

このように相手を嫌いになってしまうと相手のさまざまな部分をマイナス評価してしまうようになります。

こんな状態になれば、当然、悪口を言うリスクも高くなってしまいます。

嫌いな人を見かけるとつい悪口を言ってしまう理由はこの現象が働くからなんです。

理由6、嫉妬

相手のほうが優秀なとき、人は嫉妬を抱きます。

嫉妬は人を攻撃的にします。この攻撃性が人に悪口を言いたい気分にします。

嫉妬は競争心の強い人ほど抱きやすい感情です。

競争心のない人はいません。つまり、人は誰でも嫉妬を抱くリスクがあるということです。誰でも嫉妬を抱くリスクがあるということは誰でも嫉妬が原因で誰かの悪口を言ってしまうリスクがあるということです。誰でも多かれ少なかれ嫉妬を抱くリスクがあるということです。強い嫉妬を抱きやすい人は酷い悪口を言ってしまうリスクがあるということです。

悪口を言わないほうがいい理由

上記でも述べたとおり、悪口を言う人は敵を作りやすいです。

悪口を言ってその分だけ敵が出来れば、その分だけ悪口を言われるリスクが高くなります。復讐心を抱かれ、酷い悪口や中傷を言われたり、ネットに流されたりするリスクも高まります。高まれば実際に悪口を言われる頻度が高くなります。

だから悪口は言わないほうがいい。

それに悪口を言われたほうは被害者です。被害者には加害者に制裁を加える権利があると思うことができます。そう思うことができれば自分の復讐を正当化することができます。『これからやろうとしていることは復讐ではなく、制裁だ。私に悪口を言った罰を与えるだけだ』と自分の暴力行為を正当化することができます。

暴力を正当化することができれば相手を殴っても悪口を言っても罪悪感を感じる必要がなくなります。

罪悪感を感じなくなった被害者は容赦なく暴力を振るうことができます。

ほとんどの被害者は肉体的暴力は法的に罰せられるリスクが高いので実行しません。でも悪口は法的に罰せられるリスクが低いので実行してしまいます。

ネットの世界に悪口が溢れているのは法的に罰せられるリスクが低いためです。

その低さが悪口を言われた被害者にも悪口を言わせてしまうのです。自分の悪口を正当化する余裕を与えてしまうのです。

肉体的な暴力は当たり所が悪ければ相手が死んでしまう場合があります。相手が死んでしまえば、重い罰を受けることになります。暴力には常にそのリスクがあります。そのため、肉体的暴力をする人は多いのです。重い罪を受けるかもしれないという可能性が肉体的暴力の抑止力になっているのです。

でも悪口が重い罪になることはありません。当然、重い罪になるリスクもありません。たとえ悪口によって相手が自殺してしまったとしても法的に重い罪を背負わされることはありません。罰を受けることになったとしてもその罰は軽いものなのです。

そんな言葉の暴力に対しての罰が軽い社会だから悪口を言う人が多いのです。悪口を言われた被害者の中にも多いのです。

悪口を言う人が多いのだから悪口を言えば悪口を言われるリスクが高いのも当然のことなのです。

だから悪口は言わないほうがいいのです。

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