【村上春樹】『1Q84』のユーモア溢れる言葉と含蓄のある言葉を紹介【青豆視点】【上巻】


村上 春樹
誕生日:1949年1月12日

日本の小説家、アメリカ文学翻訳家。京都府京都市伏見区に生まれ、兵庫県西宮市・芦屋市に育つ。

『ニューヨーク・タイムズ』2011年10月23日号が行ったインタビューに対し、著者は、本書は短編小説「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」(1981年)から派生した作品であると答えている。「基本的には同じ物語です。少年と少女が出会い、離ればなれになる。そしてお互いを探し始める。単純な物語です。その短編をただ長くしただけです」。

村上は刊行直後のインタビューで「ほぼすべての登場人物に名前を付け、一人ずつできるだけ丁寧に造形した。その誰が我々自身であってもおかしくないように」と答えている。

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『1Q84』のユーモア溢れる言葉と含蓄のある言葉

「買うときには、決断が必要でした」、退役した参謀が過去の作戦について語るような口調で運転手は言った。

 

ヤナーチェックが個人的にどのような人物だったのか、青豆は知らない。いずれにせよおそらく彼は、自分の作曲した音楽が一九八四年の東京の、ひどく渋滞した首都高速道路上の、トヨタ・クラウン・ロイヤルサルーンのひっそりとした車内で、誰かに聴かれることになろうとは想像もしなかったに違いない。


レオシュ・ヤナーチェク
誕生日:1854年7月3日
死去日:1928年8月12日
モラヴィア(現在のチェコ東部)出身の作曲家
引用:Wikipedia

 

運転手はそう言って、こりをほぐすように軽く何度か首を振った。首の後ろのしわが太古の生き物のように動いた。

 

「それから」と運転手はルームミラーに向かって言った。「ひとつ覚えておいていただきたいのですが、ものごとは見かけと違います」

運転手は言葉を選びながら言った。「つまりですね、言うなればこれから普通ではないことをなさるわけです。そうですよね? 真っ昼間に首都高速道路の非常用階段を降りるなんて、普通の人はまずやりません。とくに女性はそんなことしません」

「で、そういうことをしますと、そのあとの日常の風景が、なんていうか、いつもとはちっとばかし違って見えてくるかもしれない。私にもそういう経験はあります。でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです」

 

録音された拍手を長く聞いていると、そのうちに拍手に聞こえなくなる。終わりのない火星の砂嵐に耳を澄ませているみたいな気持ちになる。

 

ひとつの物体は、ひとつの時間に、ひとつの場所にしかいられない。アインシュタインが証明した。現実とはどこまでも冷徹であり、どこまでも孤独なものだ。

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非常階段は目の前にある。灰色に塗装された鉄の階段だ。簡素で、事務的で、機能性だけが追求された階段。ストッキングだけの素足に、タイトなミニスカートをはいた女性が昇りおりするように作られてはいない。ジュンコ・シマダも、首都高速道路三号線の緊急避難用階段を昇り降りすることを念頭に置いてスーツをデザインしてはいない。


島田順子
誕生日:1941年
千葉県館山市生

ちなみにこれがジュンコ・シマダの服

確かに緊急避難用階段を昇り降りするのに適した服とは言えない。

非常階段はふだんほとんど使われていないらしく、ところどころに蜘蛛の巣が張っていた。小さな黒い蜘蛛がそこにへばりついて、小さな獲物がやってくるのを我慢強く待っていた。しかし蜘蛛にしてみれば、とくに我慢強いという意識もないのだろう。

蜘蛛としては巣を張る以外にとくべつな技能もないし、そこでじっとしている以外にライフスタイルの選択肢もない。ひとところにとどまって獲物を待ち続け、そのうちに寿命が尽きて死んでひからびてしまう。すべては遺伝子の中に前もって設定されていることだ。そこには迷いもなく、絶望もなく、後悔もない。形而上的な疑問も、モラルの葛藤もない。おそらく。

でも私はそうじゃない。私は目的に沿って移動しなくてはならないし、だからこそこうしてストッキングをだめにしながら、ろくでもない三軒茶屋あたりで、首都高速道路三号線のわけのわからない非常階段を一人で降りている。しみったれた蜘蛛の巣をはらい、馬鹿げたベランダの汚れたゴムの木を眺めながら。

私は移動する。ゆえに私はある。

 

大丈夫よ、あっという間に終わるから、と彼女は心の中でその男に話しかけた。あとちょっとだけ待ってね。そうしたらあとはもう何も考えなくていいんだから。石油精製システムについても、重油市場の動向についても、投資グループへの四半期報告についても、バーレーンまでのフライトの予約についても、役人への袖の下やら、愛人へのプレゼントやらについても、もう何ひとつ考えなくていいのよ。そういうことをあれこれ考え続けるのもけっこう大変だったんでしょう? だから悪いけど、ちょっとだけ待ってちょうだい。私はこうして意識を集中して真剣にお仕事をしているんだから、邪魔をしないでね。お願い。

 

この男はさっきまではちゃんと生きていた。でも今は死んでいる。本人も気がつかないまま、生と死を隔てる敷居をまたいでしまったのだ。

 

この人物はやり手だったが、いささか働きすぎたのだ。高い収入を得ていたが、死んでしまってはそれを使うこともできない。アルマー二のスーツを着てジャガーを運転していても、結局は蟻と同じだ。働いて、働いて、意味もなく死んでいく。彼がこの世界に存在していたこともやがて忘れられていく。まだ若いのに気の毒に、と人は言うかもしれない。言わないかもしれない。

髪の生え際が額のずっと後ろの方に後退し、わずかに残った髪は、霜の降りた秋の終わりの草地を思わせる。

バーで必要以上に酒の種類にこだわる人間は、だいたいにおいて性的に淡泊だというのが青豆の個人的見解だった。その理由はよくわからない。

 

本人がなんと思おうと、それは間違いなくハゲなの、と青豆は思った。もし国勢調査にハゲっていう項目があったら、あなたはしっかりそこにしるしを入れるのよ。天国に行くとしたら、あなたはハゲの天国にいく。地獄に行くとしたら、あなたはハゲの地獄に行く。わかった? わかったら、事実から目を背けるのはよしなさい。さあ、行きましょう。あなたはハゲの天国に直行するのよ、これから。

 

「女ってのわね、男以上にきついことが多いの。あなた、ハイヒール履いて急な階段を降りたことある? タイトなミニスカートをはいて柵を乗り越えたことある?」

 

聡明な大統領はたいてい暗殺の標的になるから、人並み以上に頭の切れる人間はできるだけ大統領にならないように努めているのかもしれない。

 

土曜日の午後一時過ぎ、青豆は「柳屋敷」を訪れた。その家には年を経た柳の巨木が何本も繁り、それが石塀の上から頭を出し、風が吹くと行き場を失った魂の群れのように音もなく揺れた。

 

タマル「生活習慣が大事だ。不規則な生活、ストレス、睡眠不足。そういうものが人を殺す」

青豆「遅かれ早かれ何かが人を殺すわけだけど」

タマル「理屈からいけばそうなる」

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彼女は何をするにしても、ほとんど音というものを立てなかった。森を横切っていく賢い雌狐のように。

 

女主人はいつも小さな声で話をした。風がちょっと強く吹いたらかき消されてしまう程度の音量だ。だから相手はいつもしっかり耳を澄ましていなければならなかった。青豆は時々、手を伸ばしてボリュームのスイッチを右に回したいという欲求に駆られた。しかしもちろんボリューム・スイッチなんてどこにもない。だから緊張して耳を澄ましているしかなかった。

 

老婦人「この世の中には、代わりの見つからない人というのはまずいません。どれほどの知識や能力があったとしても、そのあとがまはだいたいどこかにいるものです。もし世界が代わりの見つからない人で満ちていたとしたら、私たちはとても困ったことになってしまうでしょう。もちろん――」

人は社会の歯車にすぎないのだろうか?見つけようと思えばいくらでも代わりを見つけることができる歯車にすぎないのだろうか?

女主人は小さく首を振った。「蝶に名前はつけません。名前がなくても、ガラやかたちを見れば一人ひとり見分けられる。それに蝶に名前をつけたところで、どうせほどなく死んでしまうのよ。このひとたちは、名前を持たないただの束の間のお友だちなのです。私は毎日ここにやって来て、蝶たちと会ってあいさつをして、いろんな話をします。でも蝶は時が来れば黙ってどこかに消えていく。きっと死んだのだと思うけど、探しても死骸が見つかることはありません。空中に吸い込まれるみたいに、何の痕跡も残さずにいなくなってしまう。蝶というのは何よりはかない優美な生き物なのです。どこからともなく生まれ、限定されたわずかなものだけを静かに求め、やがてどこへともなくこっそり消えていきます。おそらくこことは違う世界に」

 

真夜中の悪魔のように熱くて濃いコーヒーが彼女の好みだ。

 

「天の配剤」とタマルは言った。「心臓発作のおかげで、何もかもがすんなりと収まった。最後がよければすべてはいい」

「もしどこかに最後というものがあれば」と青豆は言った。

タマルは微笑みを連想させる短いしわのようなものを、口もとにこしらえた。「どこかに必ず最後はあるものだよ。『ここが最後です』っていちいち書かれてないだけだ。ハシゴのいちばんウエの段に『ここが最後の段です。これより上には足を載っけないでください』って書いてあるか?」

青豆は首を振った。

「それと同じだ」とタマルは言った。

青豆は言った。「常識を働かせ、しっかり目を開けていれば、どこが最後かは自ずと明らかになる」

タマルは肯いた。「もしわからなくても――」、彼は指で落下する仕草をした。「いずれにせよ、そこが最後だ」


人生には、こんな看板はない。

でも、『もし、こんな看板があったら』と考えると怖くなる。この看板がある日、突然、目の前に現れたら、人生が終わってしまうということだ。そう考えると怖くなる。

明日、あなたの前に突然、この看板が現れるところを想像してみてください。怖くないですか?

青豆「どこで撃ったの、そんなものを?」

タマル「ああ、よくある話だよ。あるとき泉のほとりでハープを弾いていたら、どこからともなく妖精が現れて、ベレッタのモデル92を俺に渡して、ためしにあそこにいる白いウサギさんを撃ってみたらって言ったんだ」

青豆「真面目な話」

タマルは口元のしわを少しだけ深くした。「俺は真面目な話しかしない」

 

チャールズは外見からいえば、皇太子というよりは、胃腸に問題を抱えた物理の教師みたいに見えた。


チャールズさんとダイアナさん

田川さんは日本大学法学部の三年生で剣道二段だった。竹刀を持っていれば簡単には刺されなかったのだろうが、普通の人間は竹刀を片手にNHKの集金人と話をしたりはしない。また普通のNHKの集金人は、鞄に出刃包丁を入れて持ち歩いたりはしない。

 

青豆は大きく呼吸をした。あたりの空気を思い切り吸い込み、思い切り吐き出した。鯨が水面に浮上し、巨大な肺の空気をそっくり入れ換えるときのように。

 

青豆はあたりを見まわし、自分の手のひらを眺め、爪のかたちを点検し、念のためにシャツの上から両手で乳房をつかんでかたちを確かめてみた。とくに変わりはない。同じ大きさとかたちだ。私はいつもの私であり、世界はいつもの世界だ。しかし何かが違い始めている。青豆にはそれが感じられた。絵の間違い探しと同じだ。ここに二つの絵がある。左右並べて壁に掛けて見比べてみても、そっくり同じ絵のように見える。しかし注意深く細部を検証していくと、いくつかの些細なものごとが異なっていることがわかる。

 

私がおかしくなっているのか、それとも世界がおかしくなっているのか、そのどちらかだ。どちらかはわからない。瓶と蓋の大きさがあわない。それは瓶のせいかもしれないし、蓋のせいかもしれない。しかしいずれにせよ、サイズがあっていないという事実は動かしようがない。

 

便秘は青豆がこの世界でもっとも嫌悪するものごとのひとつだった。家庭内暴力をふるう卑劣な男たちや、偏狭な精神を持った宗教的原理主義者たちと同じくらい。

 

青豆はマネージャーに呼ばれ、睾丸を蹴る練習は控えるようにという指示を受けた。

「しかし睾丸を蹴ることなく、女性が男たちの攻撃から身を護ることは、現実的に不可能です」と青豆はクラブのマネージャーに向かって力説した。「たいてい男の方が身体も大きいし、力が強いんです。素早い睾丸攻撃が女性にとっての唯一の勝機です。毛沢東も言っています。相手の弱点を探し出し、機先を制してそこを集中撃破する。それしかゲリラが正規軍に勝つチャンスはありません」

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「私くらいの歳になれば、とくに護身をする必要もないわけですが」、彼女はクラスの終わったあとで青豆にそう言って、上品に微笑んだ。

「歳の問題ではありません」、青豆はきっぱりと言った。「これは生き方そのものの問題です。常に真剣に自分の身を護る姿勢が大事なのです。攻撃を受けることにただ甘んじていては、どこにもいけません。慢性的な無力感は人を蝕み損ないます」

 

自分を損なうようなことは何もしていない。それでも何かは静かにあとに残るのだ。ワインの瓶の底の澱のように。

 

日々の生活は地獄です。しかし私にはこの地獄から抜け出すことがどうしてもできません。ここを抜け出したあと、どこに行けばいいのかもわからないから。私は無力感というおぞましい牢獄に入っています。私は進んでそこに入り、自分で鍵を閉めて、その鍵を遠くに投げ捨ててしまったのです。

他人や規則に従ってばかりの人生を送っていると無力感という牢獄に閉じ込められてしまう場合がある。うつ病患者にはその監獄の中で苦しんでいる人が多い。

何をしていてもやっていると感じるのではなく、やらされていると感じる人は牢獄に閉じ込められるリスクが高いので注意が必要。

その針先は容赦のない観念のように鋭く冷たく尖っていた。

 

カロリーの計算なんか忘れなさい、というのが彼女の口癖だった。正しいものを選んで適量を食べるという感覚さえつかめば、数字なんか気にしなくてもいい。

 

老婦人「その気持ちはわかります。しかしそれらのろくでもない男たちがうまく移動してくれたおかげで、面倒な離婚訴訟も起こらないし、親権をめぐる争いも起きません。夫がいつか自分のところにやってきて、顔のかたちが変わるほど殴られるんじゃないかと怯えて暮らす必要もありません。生命保険も入り、遺族年金も支払われます。あなたに手渡されるこのお金は、その人たちからの感謝のかたちだと考えて下さい。あなたは間違いなく正しいことをしました。しかしそれは無償の行為であってはなりません。何故かわかりますか?」

「よくわかりません」と青豆は正直に言った。

「何故ならあなたは天使でもなく、神様でもないからです。あなたの行動が純粋な気持ちから出たことはよくわかっています。だからお金なんてもらいたくないという心情も理解できます。しかし混じりけのない純粋な気持ちというのは、それはそれで危険なものです。生身の人間がそんなものを抱えて生きていくのは、並大抵のことではありません。ですからあなたはその気持ちを、気球に碇をつけるみたいにしっかりと地面につなぎ止めておく必要があります。そのためのものです。正しいことであれば、その気持ちが純粋であれば何をしてもいいということにはなりません」

 

青豆「大丈夫、そこのオーナー・シェフがうちのジムの会員で、個人的なトレーニング・コーチを私がしているの。メニューの栄養価についてのアドバイスみたいなこともしている。だから私が頼めば優先してテーブルをとってくれるし、値段もぐっと安くしてくれる。そのかわりあんまりいいテーブルじゃないかもしれないけど」

あゆみ「私なら、押入の中だってべつにかまわないよ」

 

あゆみは腕きき弁護士が重要な契約書を読むときのような鋭い目つきで、メニューに書かれている内容を隅々まで二回ずつ読んだ。何か大事なことを見落としていないか、どこかに隠された巧妙な抜け穴があるのではないか。そこに書かれている様々な条件や条項を頭の中で検討し、それのもたらす結果について熟考した。利益と損失を細かくはかりにかけた。

 

「レストランで注文をし終わるたびに、自分が間違った注文をしたような気がするんだ」、ウェイターがいなくなったあとであゆみは言った。「青豆さんはどう?」

青豆「間違えたとしても、ただの食べ物よ。人生の過ちに比べたら、そんなの大したことじゃない」

人はときに人生の過ちに比べたら大したことのないことで真剣に悩んでしまうときがある。たとえばニキビ。ニキビができただけでこの世の終わりが近づいてるみたいに悩む人がいる。そこまで悩む必要あるかと言いたくなるくらい悩む人がいる。ほかに悩むことあるだろと言いたくなるくらい悩む人がいる。

木を見て森を見ない状態に陥ると枝葉末節状態に陥るということかもしれない。あるいは枝葉末節な状態に陥ると木を見て森を見ない状態に陥るのかもしれない。

青豆「一人でもいいから、心から誰かを愛することができれば、人生には救いがある。たとえその人と一緒になることができなくても」

 

青豆は言った。「でもね、メニューにせよ男にせよ、ほかの何にせよ、私たちは自分で選んでいるような気になっているけど、実は何も選んでいないのかもしれない。それは最初からあらかじめ決まっていることで、ただ選んでいるふりをしているだけかもしれない。自由意志なんて、ただの思い込みかもしれない。ときどきそう思うよ」

人はそれを”運命”と呼ぶ。

これまでに三人の男を殺している女と、現役の婦人警官が一緒のベッドで寝るなんてね、と彼女は感心した。世の中は不思議なものだ。

 

老婦人「私も歴史の本を読むのが好きです。歴史の本が教えてくれるのは、私たちは昔も今も基本的に同じだという事実です。服装や生活様式にいくらかの違いはあっても、私たちが考えることややっていることにそれほどの変わりはありません。人間というものは結局のところ、遺伝子にとってのただの乗り物《キャリア》であり、通り道に過ぎないのです。彼らは馬を乗り潰していくように、世代から世代へと私たちを乗り継いでいきます。そして遺伝子は何が善で何が悪かなんてことは考えません。私たちが幸福になろうが不幸になろうが、彼らの知ったことではありません。私たちはただの手段に過ぎないわけですから。彼らが考慮するのは、何が自分たちにとっていちばん効率的かということだけです」

青豆「それにもかかわらず、私たちは何が善であり何が悪であるかということについて考えないわけにはいかない。そういうことですか?」

老婦人は肯いた。「そのとおりです。人間はそれについて考えないわけにはいかない。しかし私たちの生き方の根本を支配しているのは遺伝子です。当然のことながら、そこに矛盾が生じることになります」、彼女はそう言って微笑んだ。

 

青豆は自分の中にあるいくつかの小部屋を訪れ、魚が川を遡るように時間を遡った。そこには見慣れた光景があり、長く忘れていた匂いがあった。優しい懐かしさがあり、厳しい痛みがあった。どこかから入ってきた一筋の細い光が、青豆の身体を唐突に刺し貫いた。まるで自分が透明になってしまったような不思議な感覚があった。手をその光にかざしてみると、向こう側が透けて見えた。身体が急に軽くなったようだった。

 

私たち女性は、純粋に生理学的見地から言えば、限定された数の卵子を護ることを主題として生きているのです。

ちなみに生物学的見地から言えば、男性は無数に作り出される精子をばら撒くことを主題として生きている。

正しい動機がいつも正しい結果をもたらすとは限らない。

 

聖書に字義的に反しているからといって、生命維持に必要な手術まで否定するような宗教は、カルト以外の何ものでもありません。それは一線を越えたドグマの濫用です

ドグマ ⇒宗教・宗派における教義のこと。

教義を使って、自分たちがしている非人道的行為まで正当化する行為をドグマの濫用という。

ドグマを濫用すればどんな非人道的行為でも正当化することができる。アメリカ同時多発テロだって正当化できる。

「神様が同時多発テロをしろって言ったんだ。俺はその言葉に従ったんだ。だから俺は間違っていない」というふうに正当化できる。

世間の大多数の人々は真実を信じるのではなく、真実であってもらいたいと望んでいることを進んで信じる

 

かたちのあるもので、お金を積んで買えないものはまず何ひとつありません

 

どれだけお金を積んでも買えないものはある。たとえば月。

 

血のつながりよりも大事な絆があります

 

青豆は首を振った。「私は現金しか信用しない」

あゆみは声を上げて笑った。「ねえ、それって犯罪者のメンタリティーだよ」

 

あゆみ「やったほうは適当な理屈をつけて行為を合理化できるし、忘れてもしまえる。見たくないものから目を背けることもできる。でもやられたほうは忘れられない。目も背けられない。記憶は親から子へと受け継がれる。世界というのわね、青豆さん、ひとつの記憶とその反対側の記憶との果てしない闘いなんだよ」

いじめの理屈と同じ。いじめをしたほうはすぐ忘れる。いじめる側には痛みがない。だからすぐ忘れられることができる。

でもいじめられたほうは忘れない。いつまでも覚えている。いじめられた痛みを覚え続けている。その痛みの記憶はいつまでも心に悪影響を及ぼし続ける。ときに深刻な悪影響を及ぼすこともある。

青豆「チベットにある煩悩の車輪と同じ。車輪が回転すると、外側にある価値や感情は上がったり下がったりする。輝いたり、暗闇に沈んだりする。でも本当の愛は車軸に取りつけられたまま動かない」

 

あの犬は知らない人間が近寄ってきたら、地獄の釜の蓋でも開けたみたいに吠えまくるんだ。

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