鬱病の人に道徳的説得をしてはいけない理由のひとつは『傷口に塩を塗るような行為だから』

鬱病の人に道徳的説得をしてはいけない理由

理由1、罪悪感を抱いてしまう その1

説得者「自分を責めてはいけない。責めれば自分を傷つけるだけだ。自分を意図的に傷つける行為は間違っている」

説得者「自分の体を刃物などで傷つけることは間違っている。体は両親からもらった大事な贈り物だ。その贈り物を傷つけることはぜったい間違っている」

どちらの説得も正論です。間違っていません。

自分の体も心も両親からもらった贈り物です。その贈り物を傷つけることは道徳的に間違っています。

たとえばあなたが両親に誕生日プレゼントを貰ったとします。そのプレゼントを床に叩きつけたり、壁に投げつけたり、ナイフで切り刻んだりする。

自分の体や心を傷つけることはそれと同じことをしているようなものなのです。

だから自分の体や心を傷つけることは道徳的に間違っているんです。

それはほとんどの鬱病の人もわかっています。この体も心も両親から貰った贈り物だってほとんどの鬱病の人がわかっているんです。意識的にわかっている人もいれば無意識的にわかっている人もいます。

わかっているから自分を心や体を傷つけると罪悪感を抱くんです。反射的に罪悪感を抱いてしまうんです。両親に貰った贈り物を傷つけてしまったという罪悪感を抱いてしまうんです。両親に愛された人ほどこの罪悪感は強くなります。

そんな罪悪感を反射的に抱いてしまう人に道徳的説得すればさらに罪悪感はが強くなってしまいます。

それは傷口に塩を塗ることと同じことです。

自分を傷つけることによって生じた罪悪感。その罪悪感によって生じた心の傷。道徳的な説得はその心の傷に塩を塗るような行為なのです。さらに罪悪感に酷い罪悪感を抱かせる行為なのです。

だから鬱病の人には道徳的説得はしないほうがいいのです。

鬱病の人の中には、両親から貰った大切な体と心を傷つけてしまったという罪悪感を抱きやすい人がいるんです。意識的無意識にその罪悪感を抱く人がいるんです。

だから道徳的説得が傷口に塩を塗り込む行為になってしまう場合があるんです。

だからこの種の罪悪感を抱いている鬱病の人には道徳的説得はしないほうがいいんです。

人は両親から生まれてくるものです。それは誰もが知っていることです。自明の理です。それを知っている人のほとんどはこの体も心も『両親から貰った贈り物』と認識しています。意識的に無意識的にそう認識しています。

だから自分の体や心を意図的に傷つけると反射的に罪悪感を抱くんです。

そんな罪悪感を抱く人に道徳的説得をするのは逆効果なのです。

より鬱病の人を傷つけるだけなのです。

だからこの種の罪悪感を抱く人に道徳的説得をしないほうがいいんです。

両親との仲が良い人にはこのタイプの罪悪感を抱く人がたくさんいます。

そういう人に道徳的説得をしないでください。

理由2、罪悪感を抱いてしまう その2

鬱病の人には真面目な人が多いです。

真面目な人は失敗などをすると自分を責めてしまう傾向が強いです。

もし、真面目な人が鬱病になれば鬱病になった自分を責めます。鬱病になったせいで家族や友達や社会に迷惑をかけたと自分を責めます。鬱病によって迷惑をかける時間が長くなるほどに自分を責める時間も増えます。

『自分はなんて情けない人間なんだ』

『こんな迷惑をかける人間なんて生きてる価値ないんじゃないか』

と自分を責める時間が増えます。

そんな人に道徳的説得をすれば、その人はさらに自分を責めてしまいます。

『ああ、僕(私)のせいでこの人に迷惑をかけている。心配をかけている。傷つけている。なんて申し訳ないことをしているんだろう。なんて僕(私)は罪深い人間なんだろう』

と自分を責めてしまいます。真面目な人ほど自分を責めてしまいます。そして自分をさらに傷つけてしまいます。

真面目な人ほど、自分を責め続けるという泥沼に嵌ってしまうことが多い。そういう真面目な人に対して道徳的な説得は逆効果です。症状を悪化させてしまいます。

理由3、被害妄想を抱いてしまうから

鬱病の人の精神状態は普通の状態ではありません。そのため被害妄想を抱きやすくなっています。

そんな状態のときに、

「そんなことをするのは間違っている。周りの人がどれだけ傷つくと思っている。悲しむと思っている」

と言われれば、鬱病の人は嫌な気持ちになります。

その嫌な気持ちが被害妄想を抱かせる場合があります。

『僕(私)がこんなに苦しんでいるのに。どうして道徳を守れと言ってくるんだ。それができないから苦しんでいるんじゃないか。それなのに”どうしていつも道徳的に間違っている。道徳を守れ”と言ってくるんだ。僕(私)のことを苦しめることを言ってくるんだ。僕のことが嫌いだからか。迷惑な人間だから制裁を加えているのか』

という被害妄想を抱く場合があります。

鬱病の人は情緒不安定です。人は情緒不安定のとき、被害妄想を抱きやすくなります。誰だって情緒不安定になれば被害妄想を抱きやすくなります。普通の人だって被害妄想を抱くときがあるのですから鬱病になればさらに被害妄想を抱く頻度が増します。

だから鬱病の人には安易に道徳的な説得をしないほうがいい。

道徳的な説得には義務が含まれています。義務とは人として守らなければならないことです。

そんな守らないことを言われれば、鬱病の人はプレッシャーを感じてしまいます。そのプレッシャに苦痛を感じます。

その苦痛が被害妄想を生み出すリスクを高くします。鬱病が進行している人ほど被害妄想を生み出してしまうリスクが高くなります。

鬱病の人は何かをしようという意欲が異常なまでに低下しています。そんな人に道徳を守れと言えば、苦痛を感じるのは当然のことです。その苦痛が被害妄想を生み出しやすくしてしまうんです。

『相手は僕(私)のことを理解していない。だからしっかり道徳を守れと言ってくるんだ。相手は僕(私)のことを迷惑だと思っているんだ。罰を与えたいと思っているんだ。だから道徳を無理やり守らせようとしているんだ』

という被害妄想を生み出しやすくしてしまうんです。

鬱病者には道徳的説得はプレッシャを与えてしまうものなんです。そのプレッシャが被害妄想を生み出しやすくしてしまうんです。

だから鬱病の人には道徳的説得はしないほうがいいんです。

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