【名言】『仏陀(ブッダ)』仏の悟りを開いた人の偉大な言葉

 

教えればできるようになる。教わればできるようになる。というのは思いこみだ。まして除霊・浄霊というのはどうだろうか。その魂が悟らなければならない

 

おのれを抑えることと、多くしゃべらずにじっと考えることは、あらゆる束縛を断ち切るはじめである

 

快楽より悲しみが起こり、快楽より怖れが起こる。快楽より解脱したる人間にとりては、もはや悲しみも怖れもなし

実力もないのに他人の批判ばかりをしてはならぬ

 

仕えるに値する者にのみ仕えるがよい

 

何処で、誰から産まれたのかを問うのではなく、あなたが何をし、これからどうしようとしているのかを、問いなさい

 

幸福は愛他精神から生まれ、不幸は自己本位から生まれた

 

怒りにしがみついているのは、誰かに投げるために真っ赤に燃えている石炭をつかむようなもの…火傷するのは自分自身だ

 

自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている

 

うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも香りあるものがあるように、善く説かれたことばも、それを実行する人には、実りがある

 

私たちが今日あるのは、昨日の想いからだ。そして、今日の想いが明日の人生を形づくる。人生は、私たちの心の創造物だ

 

人はおのれより愛しいものを見出すことはできない。それとおなじく、他の人々にも、自己はこのうえもなく愛しい。されば、おのれのこよなく愛しいことを知るものは、自愛のために、他のものを害してはならない

 

貪りと怒りと愚かさを捨て、諸々のしがらみを断ち、命が尽きるのを恐れず、犀(サイ)の角のように、ただひとり歩め

目的が達成されるまで、人は努めなければならぬ。自分の立てた目的がそのとおりに実現されるのを見よ

 

悩める人々の間にありて悩みなく、いと愉しく生きん。悩める人々の間にありて、悩みなく暮らさん

 

汝の瞳を欺瞞の世界よりそらせ。しかして自己の感情に心をおくなかれ。彼らは嘘つきなり。汝自身の裡に個を絶やした汝自身の内部に永遠の人を探し求めよ

 

道を行きて、己よりも勝れたる者、または、己に等しき人に逢わずんば、むしろ、独り行きて誤るな。愚かなる者の友となるなかれ

 

思いわずらうな。なるようにしかならんから、今をせつに生きよ

 

沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、少し語る者も非難される。つまり、世に非難されない者はいないのである

 

もし、清らかな心で生きている人がいたとしたら、幸福はその人の後に、かならずついていく事でしょう

 

思慮のある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、激流も押し流す事が出来ない島を作りなさい

 

善をなすのを急ぎなさい。善をなすのにのろのろしていたら、心は悪を楽しむようになります

水が一滴ずつでも滴り落ちるならば、水瓶でも満たすことが出来るのである

 

まず、自分を正しく整えてから他人に指摘しなさい。そして、他人に指摘したことは、自分も実行しなければなりません

 

頭髪が白くなったからとて、尊敬できる長老ではない。ただのむなしい老いぼれである。真理あり、他者の害にならず、自ら清め、慈しみあって、そうしてはじめて、彼は心の垢を取り除いた賢者となり、年長者として尊敬される

 

敵意によって敵意は施すにあらず、友愛によってのみ敵意は施す

 

沈黙しても批判され、多くを語っても批判され、少し語っても批判される。この世に批判されない者はない

 

恥ずべきことに無恥があり、なんでもなきことに恥じている人間は、他人の虚像の思想にかぶれている人間なり

地上の王座より輝かしく、昇天より美しく、世界の支配よりすばらしきもの、それは、解脱の最初の段階の持つところの法悦なり

 

壮大な岩が風にまったく揺るがないように賢者は、非難と称賛に動じないものです

 

人は「私はこういう人間だ」と自分で考える。その通りのものになります。それと異なったものになることはありません

 

他の人たちが「安楽だ」と言うものを、聖者たちは「苦しみである」と言う。他の人たちが「苦しみだ」と言うものを、聖者たちは「安楽である」と言う。法は知りがたいものであると見よ。無知なる者たちは、ここで迷うのである

 

他の作と不作を見るなかれ。己の作と不作のみを見よ

 

戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である

 

先ず自分を正しくととのえ、ついで他人を教えよ。そうすれば懸命な人は、煩わされて悩むことがないであろう

 

盛年をすぎた男がティンバル果のように盛り上がった乳房ある若い女を誘い入れて、かの女への嫉妬から夜も眠れない。これは破滅への門である

 

たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである

生ある者はすべて苦を怖る。生ある者はすべて死を怖れる

 

世の中は泡沫のごとしと観よ。世の中は陽炎のごとしと観よ

 

今日すべきことは明日に延ばさず確かにしていくことこそ、よい一日を生きる道である

 

水が一滴ずつでも滴り落ちるならば、水瓶でも満たすことが出来るのである

 

人間が他の動物よりも上に立つ理由は、我々が冷酷に他の動物を苦しめることができるからではなく、彼らを憐れむことができるからです

 

母と父とは、子らに対して多大のことをなし、育て、養い、この世を見せてくれた

 

婦女の求めるところは、男性であり、心を向けるところは装飾品、化粧品であり、よりどころは子どもであり、執着するところは夫を独占することであり、究極の目標は支配権である

 

足りないものは、音をたてるが、満ち足りたものは静かである

 

世界はどこも、とどまってはいない。すべての方角も揺れ動いている。私は、安住の地を求め探したが、どこにもなかった。すべて、死や苦しみにとりつかれている所ばかりだった。殺そうとしている人々を見よ。武器をとって打とうとしたことから恐怖が起こった。すべてのものは、燃えている。欲望と怒りと愚かさによって

世に母を敬うことは楽しい。また父を敬うことは楽しい

 

親の義務とは、子を悪から遠ざけ、善に入らしめ、技能を習学させ、適当な妻を迎え、適当な時期に相続させることである

 

見られた、聞かれた、識別されたことは、識別されただけのものであると知ったならば、苦しみは終わる

 

容姿や行動で人を知ることは出来ない。しっかりした丹精にしたてられた絹をまとう人の中にも慎みのないひとはたくさんいる

 

例え『これは自分のものだ』このように思っても死ねば失う。『自分のもの』という幻想に負けてはいけない

 

自分の心をよく観察して、貪欲と憂いを取り除きなさい

 

眠られない人に夜は長く、疲れた者に道は遠い。正しい教えを知らない人に、その迷いは長い

 

飲み友達なるものがある。きみよ、きみよと呼びかけて、親友であると自称する。しかし、事が生じたときに味方となってくれる人こそ、友だちなのである

大工は木をまっすぐにする。弓師が矢を矯め直す。賢い人は心をととのえ、人を導く。溝造りの職人たちは水を導くように

 

「因果関係によってつくりだされたすべてのものは無常である(諸行無常である)」と、智慧によって見るとき、人は苦しみを厭い離れる。これが人が清らかになるための道である

 

日は昼に輝き、月は夜照らす。武士は武装をして輝き、道を求める人は、静かに考えて輝く。池に開く蓮のように

 

執着があればそれに酔わされるのだ。それゆえに、ものの姿をよく見ることができない。執着を離れると、ものの姿をよく知ることができる。だから執着を離れた心に、ものはかえって生きてくる

 

誠あり、徳あり、慈しみがあって、損なわず、慎みあり、みずから調え、汚れを除き、気をつけている人こそ「長老」と呼ばれる

 

人間の身を受けることは難しい。死すべき人々に寿命があるのも難しい。正しい教えを聞くのも難しい。もろもろのみ仏の出現したまうことも難しい

 

愚かな人は、「私には息子がいる」「私には財産がある」などといってそれで思い悩むが、自分自身がそもそも自分のものではない。ましてや、息子が自分のものであろうか。財産が自分のものであろうか

 

聖典の言葉をいくらたくさん語っていても、それを実践しなければ怠け者である。それは例えば、牛飼いが他人の牛を勘定しているようなものだ。そういう者は修行者とはいえない

 

「因果関係によってつくりだされたすべてのものは無常である(諸行無常である)」と、智慧によって見るとき、人は苦しみを厭い離れる。これが人が清らかになるための道である

 

学ぶことの少ない人は牛のように老いる。彼の肉は増えるが彼の知恵は増えない

今日すべきことは明日に延ばさず、確かにしていくことこそ、よい一日を生きる道である

 

正しい教えを知らないで百年生きるよりも、正しい教えを聞いて一日生きる方がはるかにすぐれている

 

怨みは怨みによって鎮まらない。怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる

 

多く説くからとて、その故に彼が賢者なのではない。こころおだやかに、怨むことなく、怖れることのない人、かれこそ “賢者” と呼ばれる

 

愚かな人は常に名誉と利益とに苦しむ。上席を得たい、権利を得たい、利益を得たいと、常にこの欲のために苦しむ

 

ところで、この世で食物や飲料を(多く)所有している人は、たとえ悪いことを行っていても、彼は(愚かな)人々から尊敬される

 

たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。牛飼いが他人の牛を数えているように。彼は修行者の部類に入らない

 

堅い岩が風に揺るがないように、賢い人はそしられてもほめられても心を動かさない

 

おのれを抑えることと、多くしゃべらずにじっと考えることは、あらゆる束縛を断ち切るはじめである

 

過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない

 

以前には怠りなまけていた人でも、のちに怠りなまけることが無いなら、その人はこの世の中を照らす。…あたかも雲を離れた月のように

 

目的が達成されるまで、人は努めなければならぬ。自分の立てた目的がそのとおりに実現されるのを見よ

旅に出て、もしも自分よりすぐれた者か、または自分にひとしい者にであわなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道連れにしてはならぬ

 

他人の過失を見るなかれ。他人のしたことと、しなかったことを見るな。ただ自分のしたことと、しなかったことだけを見よ

 

善をなすのを急ぎなさい。善をなすのにのろのろしていたら、心は悪を楽しむようになります

 

「わたしは愚かである」と認められる者こそ、賢者である

 

「その報いが、自分には来ないだろう」と思い、善行を軽く見てはいけない。水一滴の滴りも、つもれば水瓶をあふれさせる。心ある人は、小さな善を積み重ねて、いつのまにか、福徳に満たされているのである

 

沈黙しても批判され、多く語っても批判され、少し語っても批判される。この世に批判されない者はない

 

生まれを問うな、行為を問え

 

最大の名誉は決して倒れない事ではない。倒れるたびに起き上がる事である

 

苦悩を乗り越えるための聖なる道は8つの部分からできている。正しいものの見方、正しい決意、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい思念、正しい瞑想である

 

この世には三種の人がある。岩に刻んだ文字のような人と、砂に書いた文字のような人と、水に書いた文字のような人である

 

うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも香りあるものがあるように、善く説かれたことばも、それを実行する人には、実りがある

怒る人に怒りを返さない人は、勝ちがたい争いに勝つ

 

戦争で幾千万もの敵を倒した者と、自分自身に打ち勝った者とでは、自分自身に打ち勝った者こそがより偉大な勝利者である

 

何千のもロウソクは、たった一本のロウソクでともすことができる。それによって、ロウソクの命が短くなることはない。幸福も人を分かち合って減ることはない

 

肉欲に引き入れられる人々は、陥穽にはまった兎のごとくもがき苦しむ。肉欲の泥沼にはまったら最後、彼らは長く久しきに渡って、絶えず苦悩につまずく

 

道を行くためには、あなた自身が道にならねばならない

 

どんな征服も憎しみを生む。敗れた者たちが不幸に見舞われることになるからだ

 

目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ

 

人は、生まれによって卑しいのではなく、行いによって卑しくなる

 

恐怖心を払い除けよ。そして今こそが自分の任務を果たす機会なのだ。火のように燃える勇気を抱く者は、あらゆる幸運を、自分の手で掴み取るものだと知れ

 

愚か者と共に歩む者は、必ずや長途の間に憂う。愚か者らと共に住むは、仇敵と共に住むに似て、常に苦しみなり。されど、賢明なる者とは、共に住みて楽しく、親族との会合に似たり

 

およそこの世において、恨みは恨みによって静まることはないであろう。恨みを捨ててこそ静まる。これは不変の真理である

 

旅に出て、もしも自分よりもすぐれた者か、または自分にひとしい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道連れにしてはならぬ

 

他人の過ちを見つけるのは簡単だが、自分の過ちを見つけるのは難しい

 

人間が、最も醜い瞬間とは、いやしさが理性を支配したときである

不誠実で悪意ある友人は、野獣よりも有害である。野獣はあなたの身体を傷つけるが、悪い友人はあなたの魂に傷を負わせる

 

意味のない千の言葉よりも、道にかなうたったひとつの言葉の方が価値がある。その言葉は、それを耳にした者に平安をもたらす

 

孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように

 

真理の道を歩む者が犯す過ちには2つある。最後まで行き着かないこと、そして、歩き始めないこと、だ

 

人は憎しみによっては憎しみを越えられない

 

怒りを抱くことは、熱い炭をつかんで誰かに投げつけようとするようなもの。やけどをするのは、あなた自身である

 

どんなに香りの良い花があっても、その香りは、風に逆らっては進まない。しかし、徳のある人の薫りは、風に逆らってでも進んでいく。徳のある人は、すべての方向に薫る

 

ただ誹られるだけの人、またただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないであろう。そして現在にもいない

 

自己のよりどころは自己のみである。自己がよく統御されたとき、人は得がたいよりどころを得る

 

きみよ、生きよ。生きたほうがよい。命があってこそ諸々の善行をなすこともできるのだ

 

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